能登が「やさしい」と言われるわけ、「まれ人」を歓待して助け合う人たちの祈り【取材帳】
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【能登はやさしや土までも・1】
2024年元日に発生した能登半島地震から2年が経過した。復興半ばの能登を取材で何度も訪れる中、豊かな文化や伝統が根付いた土地の魅力に気付かされることが多かった。能登の風土を端的に言い表す「能登はやさしや土までも」という言葉を手がかりに、能登の歴史や信仰が息づく名所・旧跡を訪ね歩いた。(読売新聞文化部記者・多可政史)
古今の旅人を魅了した風土

形の整った、三角状の山頂を持つ
11月中旬。ボランティア団体「能登國石動山を

未曽有の災害で助け合い、救援に訪れたボランティアらにも温かく接する――。能登の人たちの優しさを象徴する「能登はやさしや土までも」という言葉は地震後に改めて注目されたが、文献上に最初に表れたのは、ここ石動山を登った加賀藩士の日記とされる。
1696年、加賀藩士の浅加
〈
杵歌とは労働時に歌われる「労作歌」で、「能登はやさしや」も江戸時代に親しまれていた歌に含まれていた言葉だったようだ。久敬はその後、能登の別の地域を訪れ、餅と酒を振る舞われた際も同様の感想を日記に残している。
能登の人の「やさしさ」に導かれ、久敬が登った石動山頂付近には、当時の僧坊などが復元されているが、地震で石垣などが崩落した。修復完了は2027年度の予定だ。

「地球上でも最も幸福な民族の一つ」
海外の旅人も能登の魅力に心を奪われた。1889年に訪れた米国人パーシバル・ローエルは「
能登訪問の動機は〈一目

ちなみに、ローエルの影響を受けたのが作家、小泉八雲(ラフカディオ・ハーン)だ。ギリシャで生まれ、米国でジャーナリストとして活躍後に来日した。能登来訪の記録はないが、「幸福な」日本人への関心を抱き続けた。
長い海岸線、漂着の神々歓迎
古今、旅人を魅了した能登の風土の根源を知りたくて、金沢市の民俗学者・小林忠雄さん(80)を訪ねた。県文化財保護審議会の民俗部会長を務め、祭りや行事に見られる信仰を長く研究してきた。
「『異人歓待』の伝承の多さは能登半島の特徴と言えます」。そう小林さんは話す。例えば麻糸を原料とする「能登

さらに「長い海岸線に様々なものが漂着することから、神が桃の木の小舟や
異界の神々を歓迎する信仰は豊かな祭りに発展した。「自由で人間味にあふれた神様も多く、能登の祭りには格式や厳粛さにとらわれない奔放さがある」。確かに輪島市の「
能登の特徴は「土徳」という言葉でも説明される。宗教哲学者の柳宗悦が、自然と先祖に感謝する越中(富山県)の風土を説明したとされる言葉だが、石川県珠洲市の西勝寺住職の西山郷史さんは「能登はやさしや土までも」にも通じる考えとして紹介した。
西山さんは2022年に75歳で死去したが、薫陶を受けた後進らが昨年、「能登と越中の土徳」(桂書房)を刊行した。「越中も能登も、土地に感謝し、生かされているという思いから、人々が助けあう風土が生まれたのでしょう」。富山県南砺市の大福寺住職の太田浩史さん(70)は、大地震でも支え合う能登の人たちの精神的な強さの源泉に「土徳」の力を重ねている。
「新しい祈り」を復興の力に
豊かな大地に根差した精神的風土から、輪島塗など比類のない文化も生み出した能登は、高度成長期で失われた「日本の原風景」を追い求める観光客を引きつけた。だが過疎高齢化に加え、地震も追い打ちとなり、信仰の象徴である行事や祭りの中には継続が難しくなったものもある。

そんな中、能登に息づく信仰の力を見つめ直す取り組みも進む。羽咋市歴史民俗資料館で1月31日まで開催していた「能登復興の祈り」展は、宗教・宗派を超えた6寺社の至宝を公開。気多大社(羽咋市)の三井孝秀宮司(64)が呼びかけ、正覚院(同)、妙成寺(同)、総持寺祖院(輪島市)、須須神社(珠洲市)、尾山神社(金沢市)が参加した。
これらの寺社で構成される一般社団法人「能登国指定文化財保護活用連携機構」は、能登の80以上にのぼる国指定文化財の保護・活用を通じ、魅力発信を担う意向だ。「気持ちが落ち込んでいる時こそ、能登の歴史や信仰の価値を伝える必要がある」と三井宮司。「新しい祈り」の形を模索し、復興につなげていく。


























