「人間という存在が地球上ではいかに小さいか見てみたかった」…映画「森に聴く」を根っからのプロデューサーが監督した理由
完了しました
人はなぜ、自然の森に入ると気持ちが落ち着くのか。ドキュメンタリー映画「森に聴く Listen to the Forest」(3月27日からYEBISU GARDEN CINEMAほか全国順次公開)は、<私たちの身近にあって、私たちを生かしている自然としての森>を巡り歩きながら考える作品だ。監督は、山上徹二郎と今井友樹。映画プロデューサーとしてさまざまな名作・話題作を世に送り出してきた山上の初長編監督作であり、代表を務める映画会社シグロの設立40周年記念作品でもある。なぜ森を巡る映画を撮ったのか、なぜ自ら監督したのか。山上に聞いた。(編集委員 恩田泰子)

森に入ると「なんか、いい」
日本の国土の約3分の2は森林。「森に聴く」で山上たちは、身近な自然である森を巡る。案内人は、長年森と向き合ってきた研究者ら。行先は、熊本県出身の山上が幼い頃から慣れ親しんでいた球磨川源流域の山に始まり、大分県日田市、宮城県・鳴子、北海道・雄阿寒岳山麓、沖縄県・西表島……。
映像と音の臨場感とともに、観客は、山上らと一緒に森の中を歩いているような感覚を味わうことになる。エキスパートたちの言葉や知見を手がかりに「多種共存の森」に向き合っていくことになる。重ねられてきた悠久の時に思いを
ナレーションを務めるのは山上自身。その声は観客にとっての旅の相棒のようでもある。「とにかく森に入ると気持ちが安らぐし、なんか、いい。そこをどう伝えるかがテーマでした」と山上は話す。
人間中心主義への違和感
本作を作る上での山上にとっての大きな動機の一つは、「人間という存在が、いかに地球上では小さいか、ということを、ちょっと一度見てみたい」と思ったこと。「人間中心主義の思考を一回はがしてみたかった」のだという。どういうことか。

「自分が作った映画も含めてですが、今、特にドキュメンタリーで作られているものを見ると、人間がすごく中心にいる。社会的、政治的な問題を映画のテーマとして伝えることはもちろん大事なこと。ただ、人間を中心に考える思考(から抜け出せないこと)が、自分でもすごく気になっていたんです」
2020年の「令和2年7月豪雨」で山上の実家がある熊本県人吉市の大柿の集落が球磨川の氾濫で流されたことも「大きな気づき」になったという。
映画でもまず、その被害が映し出される。山上のナレーションは洪水の後の村を見た時の思いを伝えた上で、こう語る。<その時、傷ついた村を包み込むように存在していたのが、風に揺れる森の風景でした>。そして、<洪水も、田畑を潤す水も、森が作り出したもの>とも。球磨川の水源地の一つである市房山の森から、<森の真の姿>を知るための旅が始まる。
森と離れては生きていけない
映画の冒頭では、こんな字幕が示される。<森は3億5千年前に誕生したとされる/その森で人類が生まれたのは20万年前/以来 私たちは森とともに暮らしてきた>
「間違いなく僕らは、森に囲まれて暮らしている。その恩恵は相当受けている」。水もそうだろう。「森から僕たちは誕生したんだけど、森と離れては生きていけない、ということは今でも実は変わってないんですよね」
巡れば巡るほど、森や植物の世界は奥深い。巨木が林立していた頃の日本列島を想像させる埋もれ木。特異な繁殖手段を持つマングローブの林。絶滅危惧種の

「実際に森に入って、木々のざわめきだとか、いろんな生きものたちが交信するささやきみたいなものだとか、そういうものを体験して確信していくんですよね。間違いなくやっぱりお互いつながっている、ということを」。その「体感的確信」を映画表現を通して伝える映画。<学ぶことはこれからもたくさんある>という研究者の言葉が心に響く。
「それとね、大きい木ってやっぱり抱きつきたくなるんですよね。触れると、何か温かい。冬の寒いときでも。『あ、生きてるんだ』っていう感じがすごくしました。森の中で体感することが、すごくいいんですよね。見終わって劇場を出た時、何となく『森に行ってみたい、行ってみよう』と思っていただければ、映画を作った意味があるのかな、というふうに思います」
なんで自分で監督を
「森に聴く」は、山上にとって初の長編監督作。制作中は、共同監督の今井の目線が「とても頼りになった」という。今井は、山上がプロデューサーを務めた「明日をへぐる」(2021年)など、人と自然の在り方をテーマにドキュメンタリーを撮り続けている映画監督で、1979年生まれ。54年生まれの山上とは「まさに親子のような年齢差」がある。「客観的に誰かから見られていることで、先に進めたということはあったと思います。だから聞いていました、今井さんに。『これで大丈夫かな』『これで映画になるかな』というのは」

「ただ、なんで今回、自分で監督やろうと思ったんでしょうね。それが疑問ですね」。取材中、山上はふと言い出した。
81年に青林舎に入社して映画製作を始め、記録映画の巨人である土本典昭監督の「原発切抜帖」「海盗り―下北半島・浜関根―」を経て、86年にシグロを設立。記録映画、劇映画の製作・配給を行い、関連会社となった青林舎の作品と合わせると、今まで100タイトル以上を世に送り出している。
プロデューサーとしての代表作は枚挙に
東陽一監督のこと
「僕自身は、もう間違いなく、根っからプロデューサーなんです。自分が作りたいと思ったら、監督を探す。でも、今回の『森に聴く』はそういう監督がいなかった。見つからなかった」

ただ、心に浮かぶ人はいる。今年1月、91歳で他界した東陽一監督だ。山上は、「橋のない川」(92年)から、遺作となった「だれかの木琴」(2016年)に至るまで、東監督の映画をプロデュースしてきた。「森に聴く」では、これまでのシグロ作品もいくつか引用されるが、その一つは、東監督による「ボクの、おじさん」(00年)。山上の少年時代の原体験を基にした物語で、故郷・大柿のかつての風景も映っている。
「もし、東監督がバリバリ元気でいたらね、『東さん、ドキュメンタリーを一緒に撮りませんか』と言ったかもしれない。いつも、いろいろ自然について語り合っていましたし、そういう話がお互いに大好きだった」
「ただ、東監督は、僕とはドキュメンタリーはやらなかったんじゃないかな」とも言う。「もし、僕がそう声をかけたら、なんて言うか聞こえてくるようですけど、『山上君、これ劇映画でやろう』って絶対言うんですよ、あの人。『僕、ちょっとシノプシス書いてみるからさ』とかって、言うに決まっている。それで(僕は)巻き込まれてしまう。そういう人です。間違いなくそうです。そして、また妖怪が出てくるようなものを構想するんじゃないかな」
東監督は、女性を描く名手であり、現実とファンタジーのあわいを描き出す名手でもあった。後者の代表作は、絵本作家・美術家の田島征三の自伝的エッセーを基にした「絵の中のぼくの村」(1996年ベルリン国際映画祭銀熊賞)だ。
「森に聴く」の上映劇場で販売されるパンフレットには、山上の呼びかけにより、田島が書き下ろした絵本「森の絵本」が収録される。「森に聴く」に触発された作品だ。

記録映画と劇映画
シグロは、世紀(100年)を意味するスペイン語。「ガブリエル・ガルシア=マルケスの『百年の孤独』を読んで映画化したいと思ったのが最初でしたね」。ちなみに「今は、いいです」とのこと。
86年に設立してから40年。「前ばかり見てやってきたような気がします」と言う。「(どの作品も)その時は夢中になって作ってましたけど、どんな映画を作るのでも、10年たっても、20年たっても見てもらえる、あるいは見られる、見ることができる映画っていうかな、そういう普遍性を求めて作ってきた感じはあります」
記録映画と劇映画、「両方やれているのが、僕にとっては楽しい」と言う。「劇映画もドキュメンタリーも結局はシナリオが大切。最初にシナリオがあるのが劇映画だとすれば、ドキュメンタリーは最後、編集の段階でシナリオを書く作業がありますよね。その両面があるのがすごく面白い」

ドキュメンタリー映画との最初の出会いは、土本監督、劇映画は東監督の作品だった。
熊本市内の高校生だったころ、山上は水俣病患者の支援活動をしていて、同市で開かれた土本監督の「水俣-患者さんとその世界-」(71年)の完成記念の上映会に参加。同じ東プロダクション(青林舎の前身)製作による東監督の劇映画「やさしいにっぽん人」(同)との2本立てだった。「東監督のことはまったく知らなくて、『やさしいにっぽん人』はその時、たまたま見たんですよ。そしたら心奪われてしまって。緑魔子が歌う主題歌『夢の子守歌』のソノシートを受付で買って、高校のお昼休みに全校に流したりしていました。あのアンニュイな曲を」
映画との出会いは、大切な一生ものになり得る。


























