[演芸おもしろ帖]巻の七十五 極上ナンセンスの芸と人〜昔昔亭桃太郎を悼む
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「よみらくご」総合アドバイザー、演芸評論家の長井好弘さんが、演芸愛いっぱいのコラムをお届けします。
長井好弘の演芸おもしろ帖

2025年の年末、演芸を愛する人々は、驚きと落胆と後悔と、その他、いろいろな感情の渦に巻き込まれた。
演芸界のレジェンドというのか、天然記念物なのか、隣の人間国宝というべきか。とにかく唯一無二の存在感を持って「大衆演芸」に貢献してくれた、大切な人々が2025年の最後の1週間に、相次いで旅立ってしまった。
12月24日、伊丹秀敏(浜乃一舟)、90歳。浪曲師と曲師の二刀流だった。華麗な三味線さばきに加え、浪曲師の時は「浜乃一舟」の名で「男の花道」「三日の娑婆」を渋い声でうなった。
同日、海老名香葉子、92歳。海老名家=林家三平一門の「おかみさん」であり、戦災孤児だった体験を生かして反戦エッセイストとして精力的に講演を続けた。
12月27日、ぺぺ桜井、90歳。巧みなクラシックギターの演奏と、脱力系のギャグの数々。観客はもちろん、若い芸人たちにも熱烈なファンがたくさんいた。
12月28日、昔昔亭桃太郎、80歳。言わずとしれた寄席の爆笑王である。
最後の高座は師匠譲りの「カラオケ病院」

90歳代の3人は、やるべきことを成し遂げての大往生だ。いずれも、近況を漏れ聞いて、ある程度の覚悟はできていた。だが、桃太郎の
桃太郎は高座も日常も超マイペース、独自のスタイルで通した人だった。そんな桃ちゃん(僕らは彼をリスペクトしながら、こんな呼び方をしていた)が亡くなるなんてわけがない。きっといつもの気まぐれで、プイとどこかへ出掛けてしまっただけだろう。見知らぬ町の喫茶店でたばこをふかしながら、週刊誌読んでネタ探しでもしているはずだとしか思えなかった。早すぎる、若すぎる。まだまだ余力もあったはずだ。
桃太郎は長く落語芸術協会(芸協)の中核メンバーとして、寄席に客が来なかった頃から今日まで、ずっと高座を守り続けた。
僕の演芸に関する執筆活動も、「桃太郎」という存在がなければここまで続かなかった。桃太郎自身はそんなことを考えたこともないだろうが、僕は桃太郎を「恩人」と思っていた。
2000年12月、僕の初めての演芸著作「新宿末広亭 春夏秋冬『定点観測』」が出版された。末広亭の1年間の73興行をすべて見て、リポートを書くという、当時としては画期的な、というより暴挙に近い企画を、途中、急性心筋
大衆演芸「冬の時代」も高座を守った
同書の索引には200組近い芸人の名前が並んでいる。その中で、本文に10回以上登場したのは、先代桂文治、春風亭柳昇、古今亭寿輔、春風亭小柳枝、柳家権太楼、柳家さん喬、川柳川柳、そして昔昔亭桃太郎のわずか8人(順不同)だけである。
その頃、大衆演芸は1990年代から低迷が続いており、寄席の観客も「底を打ったか」と言われるほどの不入りだった。そんな状況下で、番組の中核メンバーだった彼らは、客が来ようが来まいが、全力で高座を務め、観客を笑顔にした。僕はそんな彼らの姿を見て、「定点観測」という一冊の本で寄席の楽しさを伝えようとした。何でも屋の新聞記者だった僕が、曲がりなりにも演芸ライターとして知られるようになったのは、まさにこの本に登場する演芸家たちのおかげだったのだ。
中でも、寄席の高座での桃太郎の面白さは、格別だった。もう25年以上も前のことだから、桃太郎は50代も後半に差し掛かる頃、まさに円熟期だった。
寄席の世界ではすでに「爆笑王」と言われていたが、一般社会ではスーパースターというほどの知名度はない。寄席の観客も、桃太郎が無愛想に登場し、ボソボソと語り出しても、すぐには笑いが起きなかった。だが、ナンセンスな
ナンセンス小噺の連発で場内は爆笑に

「定点観測」とそれに続く拙著「寄席おもしろ帖」を読み返しながら、桃太郎の高座を再現してみよう。
前述した通り、桃太郎の登場にはまったく愛想というものない。色白、小太り、坊ちゃん風の髪形。どこか
「船の映画が〜、まだはやってますが、私も子供の頃、海で遭難しました。でも、米と肉があったので、それを煮て食った。タイタニック(炊いた肉)って」
「天気予報なんて当てになりませんよ。去年の気象庁の運動会、雨で中止になったんですから」
あきれ返る客席。だが、そんなことには気を留めず、桃太郎はダジャレ小噺を次々と繰り出していく。僕ら観客は「くだらねー」と思うのだが、不思議なことにそれが次第に快感に変わっていくのだ。そんな頃合いを見計らったように、桃太郎は切り札ともいうべきギャグをぶっ放す。
「(高座に置かれた湯呑み
ここまで来たら、観客はもう何を聴いても笑ってしまう。後に桃太郎に「あの茶碗は寄席の備品ですか?」と聞いたら、「今どきあんなセンスのない
あの頃の末広亭では、桃太郎はトリの次に重要と言われる「仲入前」の出番がほとんどだった。寄席側はもちろんトリをとらせたかったが、桃太郎が「トリだと帰りが遅くなるから、(お気に入りの)喫茶店が閉まっちゃう」といい顔をしないので、この出番になったらしい。そしてネタはほぼ自作の「結婚相談所」に決まっていた。
良縁を求めて相談にやってくる男性は変人ばかり。担当のスタッフもまた、まともな人とは思えない――。
「どっから来ました?」「家から」「お住まいは?」「3DKです」「あんたの住んでるとこですよ」「家の中です」「生まれたとこ!」「布団の上です」「出生したとこですよ」「網走です」「そうじゃありません。あなたのお住まい!」「自宅です」「自宅はどこですか?」「日本です」
「あなたの理想のタイプは?」「背が高くなく低くなく、太ってなくて痩せてなく、中肉中背でない人」「そんな人いませんよ!」
「あなたの学歴は?」「東大です」「ストレートですか?」「アッパーです」
こんな調子でダジャレまじりの一問一答が延々とつづく。ただそれだけのネタなのだが、何度聞いても飽きないどころか、吹き出してしまうのだ。
裕次郎の大ファン…高座でサングラスかけ熱唱も

桃太郎の出世作は「裕次郎物語」である。小樽で生まれ、神戸、湘南で育った石原裕次郎と、長野の田んぼの中で育った桃太郎の「青春時代くらべ」だ。裕次郎が仲間と六本木でレミー・マルタンを空けているとき、桃太郎は農協前のペコちゃん食堂でワンタンを食べている。楽しく懐かしく、ほろ苦い桃太郎の若き日が垣間見える。桃太郎は大好きな裕次郎の命日には、必ず墓参りをし、「あんたのおかげでご飯が食べられるようになりました」とたばこ1箱を供えてくるのだという。
他にも700DKの豪邸(!)に住み、ピカソの絵を燃やして飯を炊き、まだらなご飯になってしまう「金満家族」や、「あなた結婚したらどこに住みたいの? 私は赤坂か六本木」「僕は
芸人のくすぐり(ギャグ)は、あまり細かく文字化してしまうと、営業妨害になるだろう。だから、ごく一部しか書かないようにしていたが、桃太郎のギャグは面白すぎて、誰かに言いたくて仕方がない。だからどうしても、他の芸人よりも記事の中でギャグに触れる回数が多くなった。桃太郎自身にわびると、たいして迷惑そうな顔もせず、かといってうれしそうな顔もしないで、「ほめてくれるならいいよ」と見逃してくれた。
2004年ごろだったか、ナンセンス新作一辺倒だった桃太郎が突如、古典落語をやり始めた。
「(細い目を思い切りむいて)放送作家の高田文夫先生が、こーんな大きな目で『古典やんなさい』っていうんだよ。あたしは昔から、大きな目の人にコンプレックスがあるんだよ」と高座の桃太郎が言い訳する。
なんでも神田の居酒屋「天狗」で高田氏と弟弟子の春風亭昇太に「売れてる今なら何やってもウケるから」と唆されたらしい。半年後、昇太との二人会で披露されたのは、何と古典落語の代表格である「寝床」だった。
義太夫に夢中の商家の旦那が「独演会」を開くことになった。招待を受けた長屋連中はなんとか無理やり用事を作って、下手くそな義太夫から逃れようする。
「金物屋の婆さんは来るのか?」「36.5度の高熱が出まして」「それは平熱じゃないのか?」「あの婆さんの平熱は11.5度なんです」
初めは本寸法に進めていた噺が、この辺から崩れてきた。
「高田文夫さんは?」「浅草の木馬館に小林旭のリサイタルを見に行ってます」
「タマは? ポチは? ガラガラヘビは?」「旦那の義太夫の会があると聞いたら、自分で穴掘って土に潜ってます」「夏なのに冬眠か?」「夏だから仮(夏)眠じゃないですか?」
常に新しいくすぐりを考えている桃太郎は、思い付いたギャグを惜しげもなくぶち込んでくる。だからどんどん噺が長くなり、普通は「30分」ぐらいで終わる「寝床」が50分を超えてしまった。
「こんなに長くちゃ寄席のトリでできないよ」
作った当人がぼやいていた。
初席で爆笑王をしのぶ仲間の高座にしんみりと

僕はもう20年ぐらい、浅草演芸ホール8月恒例の「禁演落語の会」に、落語解説で高座にあがらせてもらっている。その時、僕の出番のすぐ前が桃太郎であることが多く、楽屋で昔の芸協の芸人さんの話などを聞かせてもらった。それだけでは話し足りないのか、夜遅くに電話をもらうことが何度もあった。別に僕が特別というわけではない。協会を超えて、かなりの落語家が桃太郎から電話をもらっていた。特に話題があるわけではなく、桃太郎が近況などをしゃべり、気が済むと「それじゃ、また」といきなり電話を切ってしまうのだった。桃ちゃん、寂しかったのだろうか。いや、それよりも何か面白いことを見つけると、誰かに聞いてもらいたいという気持ちが抑えられなかったのだろう。
今年の1月2日、国立名人会で桂文治の「掛取り」を聞いた。いくら落語が季節の先取りでも、正月の2日に大みそかの噺をやるのはいかがなものかと思ったが、噺の中に寄席好きの掛取り(借金取り)が登場し、その旦那を喜ばそうと八五郎が噺家のまねをする場面があった。そこに桃太郎が登場したのである。文治は口をとがらせ、滑舌の悪い、独特の口調を見事に真似して、おなじみの桃太郎ギャグを披露した。
「せこい茶碗だね。これでおにぎり持ったら、田植えの昼休みだ」
文治は、長年、寄席興行を支えてきた桃太郎に、今年の正月の高座にも出てもらいたかったのだろう。それで無理やり季節外れの「掛取り」を演じたのではないか。高座の文治の後ろに、あのセンスのかけらもない湯呑み茶碗を持った桃太郎がぼんやりと見えた。
晩年の高座では、よく歌っていた。コロナ前までは、一席終わると、着物のたもとからサングラスを出し、昔懐かしのロカビリーを歌った。その時、楽屋にいる若手を高座にあげ、バックダンサーとしてツイストを踊らせた。
僕が解説をしている都民寄席でも、歌とツイストで盛り上がった。この時は、落語協会、落語芸術協会から1人ずつ前座が出てダンサーになった。芸協の前座は桃太郎の弟子の昇(当時は全太郎)で、こういうことには慣れっこなので、かなり激しく腰を動かしても息を乱すことがない。終始楽しそうに踊っていた。それに引き換え、落語協会の前座は初めてのツイストに戸惑い、リズムを合わせるのに苦労し、終わった後は息が切れてしばらく立つことができなかった。
コロナ後は、ツイストはやめて、大好きな裕次郎の歌を始め、観客の求めに応じて2曲、3曲と続けて歌っていた。
桃太郎の逸話を話しだすとキリがない。近くにいた弟子や、仲間の噺家たち、また一部で「師匠よりも面白い」と言われている桃太郎夫人に聞いてまわれば、拙文よりも質量ともに面白い「桃太郎伝説」ができるだろう。
そうやって皆が桃太郎の思い出を語っている限りは、桃太郎は生きているのだ。
そして、本人は不満かもしれないが、何冊かの僕の著作の中にも、面白い噺家・桃太郎の足跡がしっかりと刻まれており、僕は何度も何度も読み返している。
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