【第23回箱根駅伝】3年間の中断から戦後初開催、明治大が57秒差でV…中央大を振り切る
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第2次世界大戦中の第22回(1943年)を最後に中断されていた大会が4年ぶりに復活し、1月4、5日に10チームが参加して行われた。大会再開にあたっては、日本を占領していた連合国軍総司令部(GHQ)の承認を得る必要があり、道路使用許可などを巡って関東学連が交渉を重ねた。レースは、4区で首位に立った明治大がその後はトップを譲らず、第10回大会(1929年)以来となる6度目の優勝を果たした。
3区までは早稲田大が先行

往路の序盤は早稲田大が先行した。1区の後藤秀夫が先頭でたすきリレーすると、2区の浜部憲一も区間1位で続いた。3区では区間8位となり、2位に上がった中央大に差を詰められると、4区では、3位から追い上げてきた明治大が逆転。沢栗正夫の区間1位となる快走でトップに出た明治大は、5区も区間3位でたすきを運び、7時間20分42秒でゴールした。2分4秒差の2位に中央大、3位には東京文理科大(のちの筑波大)が続き、早稲田大は4位に後退した。
巻き返した慶応大、早稲田大かわして3位
復路は明治大と中央大が競り合った。明治大は7区で牧野博が区間トップの快走を見せ、2位・中央大との差を5分19秒まで広げたが、中央大は8区で1分38秒差まで詰め寄った。9区では明治大が再び2分18秒差まで突き放すと、最終10区では田中久夫が中央大・平井文夫の追い上げを振り切り、57秒差でゴールに飛び込んだ。明治大の優勝タイムは14時間42分48秒だった。往路5位から復路1位と巻き返した慶応大は、10区で早稲田大をかわして3位に入った。
戦争の爪痕残るコース、長距離以外の選手も出場
沿道では焼け跡にバラックが立つなど、戦争の爪痕が随所に残り、1区、10区のコースでは、多摩川にかかる六郷橋が未修復のため使用できず、下流の大師橋を経由した。各チームは選手集めにも苦慮し、中央大の1区で区間7位だった村上利明は砲丸投げ、東京文理科大の2区で区間3位だった山本邦夫は400メートル障害を専門とするなど、ランナーには長距離以外の選手も名を連ねた。
開催前年の1946年12月には、箱根駅伝予選会の前身に当たる「関東大学高専10マイル」の第1回大会が代田橋―井の頭公園の往復コースで行われた。
1947年(昭和22年)の主な出来事
・日本国憲法施行
・カスリーン台風
・笠置シヅ子の「東京ブギウギ」、大ヒット
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