【第59回箱根駅伝】日本体育大、3年ぶりV…6区・谷口浩美が驚異の区間新
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2区でトップに立った日本体育大がその後は先頭を譲らず、3年ぶり9度目の総合優勝を果たした。第53回大会(1977年)以降の7大会で、4度目の優勝となった。前年までの2年間を含め、残る3大会はいずれも順天堂大に次ぐ2位。当時、覇を競っていたライバルの3連覇を阻んだ。
大塚正美、2区で米重修一との競り合い制す

日本体育大は1区で東洋大に次ぐ2位につけると、2区の大塚正美(4年)がエースらしい走りを見せた。23秒遅れの4位で出た大東文化大・米重修一の猛追を受け、12キロ付近で並ばれながらも、そこから大塚はペースアップ。「学生長距離界ナンバーワン」と称された米重を引き離し、1時間7分34秒の区間賞でトップに立った。1年生の時から8区、5区、2区と毎年、区間賞を獲得していた大塚は、最後の箱根駅伝も区間賞で締めくくった。大塚に続いて3区、4区も上位でつないだ日本体育大は、5区の岡俊博も区間1位と好走し、2年連続で往路を制した。6分39秒差の2位には、1年生の木下哲彦(金哲彦)が5区で区間2位の力走を見せた早稲田大が入った。
区間新の谷口浩美、2位に3分20秒差

往路の上位6チームまでが時差スタートした復路も、日本体育大の独走が続いた。6区では谷口浩美が57分47秒の区間新記録をマークし、15選手のうち唯一、1時間を切る快走。区間2位に3分20秒差をつける好タイムで、小田原中継所では2位・早稲田大との差を11分31秒に広げた。日本体育大は7区も区間1位で続くと、8区以降は3区間連続の区間2位でつなぎ、3年ぶりの総合優勝となるゴールテープを切った。
総合2位に早稲田大…坂口泰と遠藤司が連続区間賞
6分37秒差の総合2位には早稲田大が入った。昭和40年代後半以降には予選落ちを経験するなど一時、低迷期にあった早稲田大にとっては、9度目の優勝を飾った第30回大会(1954年)以来、29年ぶりの好成績となった。復路のみのタイムでは、8区から9区へつなぐ戸塚中継所で日本体育大に5分36秒差をつけられていたが、9区・坂口泰と10区・遠藤司が連続区間賞の走りを見せ、日本体育大に2秒差で2年連続の復路優勝を飾った。
谷口、米重はのちに五輪へ
日本体育大の優勝を決定づけた谷口は卒業後、実業団の旭化成に進み、マラソン選手として活躍した。1991年の世界選手権東京大会では金メダルを獲得。1992年バルセロナ五輪では給水ポイントで足を踏まれて転倒し、脱げたシューズをはき直すハプニングに見舞われたが、8位入賞を果たした。レース後のテレビインタビューでは、「こけちゃいました」と朗らかに振り返るシーンが話題となった。花の2区で日本体育大・大塚に次ぐ区間2位となった大東文化大の米重はその後、1988年ソウル五輪の5000メートルと1万メートルに出場した。
金哲彦、箱根路デビュー
山登りの5区で箱根駅伝初出場を果たした早稲田大の木下(金)は、第62回大会(1986年)まで4年連続で5区を走り、第61回、第62回では区間賞に輝いた。卒業後には在日朝鮮人(韓国人)であることを明かし、金哲彦と名乗った。実業団を経て現役を引退した後は、市民ランナーの育成や、駅伝・マラソンの解説などでも活躍することになる。
1983年(昭和58年)の主な出来事
・東京ディズニーランド開園
・任天堂、「ファミリーコンピュータ(ファミコン)」発売
・大韓航空機撃墜事件
・瀬古利彦、イカンガーとのデッドヒート制し福岡国際マラソンV






























