【第24回箱根駅伝】中央大が2度目V…1区から首位譲らず、2位に33分差
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戦後の再開後2度目の開催となった大会は、往路スタートと復路ゴールが東京・銀座の読売新聞社前に移された。戦後初となった前年の大会は、東京・有楽町の報知新聞社(読売新聞別館)前を発着点として行われていた。第24回大会から優勝チームには優勝旗とともに、戦後日本の占領行政の中心を担ったアメリカ第8軍司令官アイケルバーガー中将寄贈のトロフィーが贈られるようになった。
全中継所トップ通過は10大会ぶり
前回大会に出場した10校のうち、選手のそろわない東京文理科大(のちの筑波大)が不参加となった一方、東洋大、立教大、拓殖大から校名変更した紅陵大の3校が戦後初参加し、計12校で争われた。レースは中央大が、初優勝した第7回大会(1926年)以来、22年ぶり2度目の優勝を果たした。全中継所をトップ通過して優勝するのは、第14回大会(1933年)の早稲田大以来となった。
ヘルシンキ五輪マラソン代表の西田勝雄が初出場
中央大は序盤から独走した。1区・浅倉茂が区間1位の好スタートを切ると、2区、3区も安定したたすきリレー。2位・日本大と1分6秒差で出た4区の菊地由紀男は区間1位の快走でリードを9分17秒まで広げた。5区では、のちに1952年ヘルシンキ五輪でマラソンに出場する西田勝雄が区間2位と力走し、6時間52分24秒のトップでゴールした。2位の日本大には9分49秒差をつけた。第24回大会から6年連続で5区に起用され、区間1位3度、区間2位2度の成績を残した西田にとっては、初の箱根駅伝となった。
中央大を8度優勝させた後の名将、西内文夫が最後の出場
復路でも中央大が快調に飛ばした。6区では、5区・西田と同様に6年連続で山下りを任されることになる田辺定明が区間1位と快走。さらに7区・安藤寿雄、8区・高杉良輔、9区・黒木弘行も区間1位で続いた。10区では平井文夫が区間2位と危なげなく走りきり、13時間21分10秒で東京・銀座にゴールした。中央大が区間トップとなったのは往路・復路を通じて計6区間に及び、2位・日本大との差は33分51秒となった。
中央大のアンカー・平井は中距離や十種競技でもトップクラスで活躍した選手で、3大会連続で10区を任された箱根駅伝は第24回大会が最後の出場だった。後に姓を改め、西内文夫として中央大陸上部の指導に当たり、監督として8度、箱根駅伝の優勝に導いた。
1948年(昭和23年)の主な出来事
・帝銀事件
・太宰治が入水自殺
・昭電疑獄
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