【第17回箱根駅伝】日本大が連覇、5区からトップ譲らず…過去最多14校が参加
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前回大会に出場した13校に、初出場の横浜専門学校(のちの神奈川大)が加わり、過去最多の14校が参加して、1936年(昭和11年)1月4、5日に行われた。5区で首位に立った日本大が復路は先頭を譲らず、2年連続2度目の優勝を果たした。
中央大の村社講平が3人抜き
往路では、早稲田大が1区・朝倉充、2区・島野信一の力走で2区まで首位をキープ。3区では、4位でたすきを受けた中央大の村社講平が日本大・森本一徳、早稲田大・樋口三五郎らをかわしてトップに立った。中央大は4区も首位を守ったが、5区では、2位で出た日本大の鈴木房重が逆転。日本大が6時間37分2秒のトップで箱根にゴールした。日本大と5分10秒差の2位に早稲田大、さらに7分34秒差の3位に東京文理科大(のちの筑波大)が続き、4位は中央大だった。
日本大・森本一徳が7年連続の出場
6度出場した箱根駅伝で全て5区を走った日本大の鈴木は区間1位3度の成績を残した選手で、2度目の出場となった第17回大会で初の区間1位に輝いた。日本大の3区・森本は箱根駅伝初出場となった第11回大会(1930年)以来、7年連続の出場となり、最後の箱根となった第17回大会は区間6位で終えた。

初出場の横浜専門学校、最下位に沈む
復路は日本大が、追いかける早稲田大を突き放す展開となった。6区では、早稲田大・大野正次が区間1位の走りで日本大との差を3分6秒まで詰めたものの、7区では日本大の松永重が区間1位と快走し、リードは5分55秒に広がった。日本大は8区・棚木大と9区・鈴木勇も区間トップでたすきをつなぎ、10区の荒川清孝が連覇のゴールテープを切った。9区で10分45秒差をつけられていた早稲田大はアンカーの中村清が区間2位の力走を見せたものの、日本大と6分17秒差の2位だった。さらに21分10秒差の3位に中央大が入った。初出場の横浜専門学校はトップから約2時間10分遅れとなる最下位の14位だった。
同年のベルリン五輪出場選手も
第17回大会が行われた1936年にはベルリン五輪が行われ、正月の箱根駅伝に出場したランナーも日本代表に選ばれた。明治大の3区・南昇竜はマラソンで銅メダルを獲得し、中央大の3区・村社は5000メートルと1万メートルでともに4位に入った。のちに母校の監督を務めることになる早稲田大の10区・中村清は1500メートルに出場した(予選落ち)。マラソンで金メダルを獲得したのは、日本の植民地統治下にあった朝鮮出身の孫基禎で、銅メダルの明治大・南も同じく朝鮮出身だった。
1936年(昭和11年)の主な出来事
・2・26事件
・阿部定事件
・ベルリン五輪、前畑秀子や田島直人ら金メダル






























