【第21回箱根駅伝】戦前最後の開催、日本大が2年ぶりV…2位に31分差

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 前回出場校のうち立教大が参加せず、法政大が2大会ぶりに復帰し、計10校が参加して1940年(昭和15年)1月6、7日に行われた。早稲田大慶応大は3大会連続で、明治大は2大会連続で不参加となった。レースは、前回大会で専修大に次ぐ2位に終わり5連覇を逃していた日本大が、2大会ぶりに制した。

日本大・鈴木房重、最後の力走…大戦で戦死

 日本大は1区・郷野喜一が先頭でたすきリレー。2区では東京文理科大(のちの筑波大)・勝亦清政に抜かれ、2秒差の2位となったものの、3区は大沢竜雄が区間2位でつなぎ、再び首位に浮上した。2位に上がった専修大と47秒差でたすきを受け取った4区の手島弘信は区間1位で走り抜け、その差を6分超まで広げると、通算6度目となる5区を任された鈴木房重も区間2位で乗り切り、6時間37分3秒のトップで箱根郵便局前にゴールした。第17回大会(1936年)~第19回大会(1938年)に3年連続で区間1位を記録するなど山登りで活躍した鈴木にとっては、最後の箱根駅伝となった。その後、第2次世界大戦に出征し、1945年6月に31歳で戦死した。10分18秒差の2位には専修大、3位には東京文理科大が続いた。

日大優勝を報じる読売新聞紙面(1940年1月8日)

日本大、復路4区間で1位、残り1区間も2位

 日本大は復路でも着実にリードを広げた。6区・渡辺安雄、7区・片岡忠司、9区・永野常平、10区・小島武雄はいずれも区間1位、8区・長谷川登も区間2位と他校を圧倒し、13時間12分27秒で2年ぶり5度目の優勝を果たした。2位の東京文理科大には31分59秒差をつけた。3位には、10区で専修大をかわした中央大が入り、前回優勝の専修大は4位となった。

戦火拡大でコース使えず、翌年から中断

 日中戦争が1937年に始まり、次第に戦火が拡大する中、軍事物資の輸送路となる東海道は駅伝コースとして使用できなくなり、翌1941年から大会は中止された。1941年1月と1941年11月には代替大会として、コースを東京―青梅に移した「東京青梅間往復大学専門学校鍛錬継走大会」が開催された。

1940年(昭和15年)の主な出来事 

・日独伊三国同盟締結

・大政翼賛会が発足

・杉原千畝氏、「命のビザ」発給

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