【第22回箱根駅伝】戦時下で3年ぶり開催、日本大が制す…「戦勝祈願」名目に「靖国神社―箱根神社」間を往復

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 戦時下の1943年、「紀元二千六百年靖国神社-箱根神社間往復関東学徒鍛錬継走大会」として1月5、6日に行われた。戦火の拡大に伴って東海道を駅伝コースとして使用することができなくなったため、第21回大会(1940年)を最後に大会は中断されていたが、3年ぶりに復活した。スポーツの大会が全面的に禁止される中、靖国神社と箱根神社の間を往復する戦勝祈願を目的とした大会にすることで開催が許可された。1941年12月開戦の太平洋戦争中では唯一の開催となった。大会は名目上、文部省の外郭団体として新設された「大日本学徒体育振興会」が主催者となったものの、実際の大会運営は関東学生陸上競技連盟(関東学連)が担当し、優勝盾には関東学連のマークが刻まれた。「箱根駅伝70年史」は、大会名や発着点を変えたのは「当局の許可を得るための方便であって、本当のところは押しつぶされそうで陰鬱(いんうつ)な雰囲気から逃れて、若い競技者の情熱を伝統の箱根駅伝にぶつけたかったのであろう」と記述している。

靖国神社に参拝してからスタート

 レースには第21回大会より1校多い11校が参加し、日本大慶応大法政大との三つどもえの競り合いを制して、2大会連続となる6度目の優勝を果たした。

 往路では、スタートに先立って選手らが靖国神社を参拝し、午前8時に大鳥居の前から出発した。2区までは立教大が首位を守り、3区では、3区間連続となる区間2位と好走した日本大がトップに立った。4大会ぶりの出場となった慶応大は4区で先頭に立つと、5区・岡博治も区間3位の力走を見せ、6時間52分43秒のトップで箱根にゴールした。5分45秒差の2位には日本大、さらに17秒差の3位に法政大が続いた。

日本大優勝を伝える1943年1月7日の紙面。戦時下に計4ページで印刷され、題字は読売報知だった

初出場の青山学院は最下位

 復路では、6区で法政大が首位に立つと、7区では慶応大・落合静雄が区間1位と快走し、再び先頭に。8区は慶応大が首位を守ったものの、9区では法政大が慶応大を抜き、10区へつなぐ鶴見中継所では先頭でたすきリレーした。慶応大は4秒差の2位、日本大は2分10秒差の3位で続いた。10区では、中距離を専門とする慶応大の荘田恒雄が六郷橋を過ぎたところで法政大・浜田嘉一をかわして先頭に立ったが、猛追する日本大の永野常平は品川付近で慶応大の荘田を抜き去り、13時間45分5秒で逆転優勝を飾った。日本大は初優勝した第16回大会(1935年)以来、7大会で6度目の優勝となった。2分46秒差の2位が慶応大、さらに3分4秒差の3位は法政大だった。青山学院大は、「青山学院」として箱根駅伝に初出場し、最下位の11位だった。

2度の代替レースは、いずれも日本大が優勝

 第21回大会(1940年)後の中断期間には、神宮外苑水泳場前-青梅熊野神社間の往復110キロ8区間で1941年1月と1941年11月に「東京青梅間往復大学専門学校鍛練継走大会」が行われた。11月の大会は、翌年の大会を繰り上げて開催した。箱根駅伝の代替レースとなった2度の大会は、いずれも日本大が優勝した。

1943年(昭和18年)の主な出来事

・連合艦隊司令長官の山本五十六、ブーゲンビル島上空で戦死

・アッツ島の日本軍守備隊が玉砕

・学徒動員が本格化

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