【第3回箱根駅伝】早稲田大が初優勝…河野一郎・謙三の兄弟リレーで東京高師を突き放す

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 第2回大会に出場した7校に加え、東京大農学部実科(のちの東京農工大)日本歯科医学専門学校(のちの日本歯科大)日本大の3校が初参加し、「十大校対抗駅伝競走」として計10校で1922年(大正11年)1月7、8日に行われた。第2回大会に続き、往路スタートと復路ゴールは日比谷公園音楽堂前、往路ゴールと復路スタートは箱根関所跡(箱根小学校前)とするコースで争われた。翌年の第4回大会(1923年)からは発着点が、第1回と同じ東京・有楽町の報知新聞社前に移された。レースは、7区で東京高等師範学校(東京高師、のちの筑波大)を逆転した早稲田大が初優勝を果たした。

往路は東京高師がトップ

 往路は午前9時の号砲でスタートし、1区では東京高等師範学校の畠山勇三が区間新記録となる1時間22分3秒のトップでたすきリレー。早稲田大が4分31秒差の2位で続いた。2区で3分32秒差に詰めた早稲田大は3区・大江正行が東京高等師範学校を逆転して先頭に立ったものの、4区で東京高等師範学校が再び首位に。2分35秒のリードで出た東京高等師範学校の5区・茂木善作は、早稲田大・麻生武治に区間1位を許しながらも、トップの座は守り抜き、7時間12分36秒でゴールした。2位の早稲田大とは1分31秒差だった。東京高等師範学校の茂木は1920年アントワープ五輪のマラソンに日本代表として出場した選手だった。早稲田大の麻生は6年後、1928年サンモリッツ冬季五輪にスキー競技の日本代表として出場した。

 復路は、マイナス5度の気温を考慮してスタートが30分繰り下げられ、午前7時半の号砲となった。6区では早稲田大・内田庄作が、首位・東京高等師範学校との差を1分0秒に詰める区間1位の快走。早稲田大は7区・河野一郎が東京高等師範学校の大谷哲を逆転し、9分9秒のリードを奪うと、8区・河野謙三も兄の一郎に続いて区間1位の走りを見せ、リードを20分7秒に広げた。9区の枇杷坂実は区間2位、10区の行田重治も区間5位と安定した走りを続け、早稲田大が初優勝のゴールテープを切った。10区間のうち6区間で区間1位となった早稲田大の優勝タイムは14時間12分21秒で、第2回大会を制した明治大の記録を26分40秒更新した。早稲田大の河野一郎は後年、農相や建設相などを歴任し、弟の謙三は参議院議長に就任。のちに政界で活躍することになる兄弟のたすきリレーが初優勝に大きく貢献した。復路で引き離された東京高等師範学校は早稲田大から26分5秒遅れの2位。トップと34分47秒差の3位が明治大だった。

全チームのゴール待たず撤収

 初出場校はいずれも苦戦し、東京大農学部実科はトップと1時間35分13秒差の8位、日本歯科医学専門学校は同じく2時間14分20秒差の9位、日本大は同じく4時間37分46秒差の10位だった。優勝旗の授与式は会場の都合により、8位以下のゴールを待たずに東京・銀座の泰明小学校で行われた。

 最下位の10位に終わった日本大には、日大一中の生徒も出場した。小沢育郎がエントリーしていた4区で実際に走ったのは、日大一中の永田安之輔だった。区間6位に入った永田は第5回大会(1924年)以降、東京農業大の選手としても4度、箱根駅伝に出場し、のちに関東学生陸上競技連盟の会長を務めた。8区の上山繁樹と9区の山口重も日大一中の生徒であることがレース後に判明し、日大一中は処分を受けた。

1922年(大正11年)の主な出来事

・大隈重信、山県有朋が死去

・「全国水平社」創立

・ソビエト社会主義共和国連邦(ソ連)が成立

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4745912 0 箱根駅伝 過去大会アーカイブ 2023/12/07 11:25:16 2023/12/21 16:42:06

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