勝負の2曲目に仕掛け…大井川(静岡県)
完了しました
越すに越せなきゃ しおからトンボ 土堤のすすきで 雨やどり――――松井由利夫作詞、水森英夫作曲、氷川きよし歌「大井追っかけ音次郎」(2001年)


広大な河川敷を幾筋かの川が蛇行しながら分かれ、交わる。流れも穏やかだ。「箱根八里は馬でも越すが 越すに越されぬ大井川」と民謡に歌われたほど、江戸時代は難所とされただけに、少々拍子抜けした。
「大井川は日本屈指の急流河川で、平時はこんなものですが、大雨など増水時は堤防まで水が上がってくる。ましてや上流にダムがなく、今より水量が多かった江戸時代は大変な難所だったのでしょう」。静岡河川事務所島田出張所の芥川哲所長が教えてくれた。
2000年、氷川きよしさんは、デビュー曲「箱根八里の半次郎」を大ヒットさせ、
「抜けのいい高音が魅力だったが、レッスンを積んでも伸び悩んでいた。ただ、なぜか『雪の渡り鳥』など股旅ものを歌わせると絶品でした」と水森さん。
当時、歌謡界で股旅ものは過去の遺物扱いだった。「ならば逆転の発想」と、茶髪にピアスという現代的な装いで、古風な股旅ものを歌うというアイデアでデビューさせた。「最初は中高齢の女性に受けたが、普段演歌を聴かない若い層にも波及した」と振り返る。同年の日本レコード大賞最優秀新人賞に輝き、NHK紅白歌合戦にも出場した。

正念場は2曲目だった。「一発屋」という言葉があるように、1曲のヒットで後が続かない歌手は珍しくなかった。氷川さんを“意外性狙いの変化球”とみる向きもあり、水森さんは「2曲目は外せないという重圧はありました」と言う。「大井追っかけ音次郎」はデビュー曲の路線を踏襲し、箱根を越えた半次郎の後日談的な内容となった。三島、清水と今の静岡県を西に進んだ音次郎は、どうやら大井川で足止めを食ってしまったようだ。
「ただ、この曲は『箱根――』に比べ音域が広く、いきなり高音に上がる箇所があるなど難曲。カラオケで歌えば、いや応なく氷川の歌唱力が実感できる仕掛けを施しました」
この曲は40万枚を超える売り上げを記録。その後、演歌界の先頭を走り続けることになる氷川の足固めになったと言えるだろう。
氷川きよし
(ひかわ・きよし)
1977年、福岡県生まれ。高校在学時に出場した歌謡コンテストでスカウトされ、卒業後に上京し、作曲家の水森英夫さんに師事。2000年に「箱根八里の半次郎」でデビューした。その後も「きよしのズンドコ節」「星空の秋子」などヒットを連発し、06年に「一剣」で日本レコード大賞に輝いた。演歌だけでなくポップス路線でも存在感を発揮し、「限界突破×サバイバー」(17年)などをヒットさせている。NHK紅白歌合戦には昨年まで23回連続出場している。
文・西田 浩
写真・鷹見安浩
渡河の街彩るSL


島田駅から旧東海道を西に進むと、木造の古い家が続く風情ある町並みが姿を現す。渡河を助ける労働者の詰め所、荷物の
大半が1960年代以降に再建されたものだが、川札(渡河切符)の販売などを担った川会所だけは1856年建設の現存する川越施設だ。
大井川は船渡りが禁止され、専任の労働者による肩車や数人がかりで担ぐ連台に乗って渡った。水位が上がれば料金も上がり、一定水量を超えると川越できず旅人は足止めを食う。まさに難所だった。

「制度化されたのは17世紀末ですが、それ以前から大井川では人力による渡河が発達しており、幕府は既得権を認める代わりに料金を公定化し、高騰を抑えたようです。悪天候が続くと旅人は
島田市博物館の学芸員、岩崎アイルトン望さん(26)が説明してくれた。
その大井川に初めて架けられたのが蓬莱橋。1879年完成当時の姿をしのばせる全長897メートルの木造橋として現存し、英国ギネス社によって「世界最長の木造歩道橋」に認定されている。
大井川を彩る風情として忘れられないのがSL。新金谷駅から大井川西岸に沿って山あいの田園風景の中、煙を上げ、汽笛を鳴らしながら走る様子は、昭和にタイムスリップしたよう。旧国鉄からSLが消えたのは1975年だが、翌年、大井川鉄道が機関車を購入し、運行を始めた。
同社経営企画室次長の山本豊福さん(58)は「木材運搬や上流のダム建設に伴う需要が消えていく中、過疎地を走る弊社は、当時存亡の危機にあった。SL導入で観光路線として生き延びるという選択は賭けでしたが、吉と出たわけです」と話す。
●ルート 東京駅から新幹線(ひかり)で静岡駅まで約1時間。静岡駅から東海道線で島田駅まで約30分。島田市内は路線バス、JR、大井川鉄道などを利用。
●問い合わせ 島田市観光協会=(電)0547・46・2844
[味]緑茶使ったフルコース

お茶は島田の名産品。それをとことんまで生かしたのが、「ゆくら」((電)0547・45・4951)の「茶香懐石」(6600円、2日前までに要予約)=写真=だ。本格的な和食のコースだが、「茶葉の天ぷら」、魚介や野菜をお茶で蒸し上げた「茶香蒸し」、刺し身に砕いた茶をまとわせあぶった「茶たたき」など、すべてにお茶が使われる。経営者で料理人の湯倉孝一さん(58)は「葉、芽、茎、精製時に出る粉茶など様々な部位をその特徴に合わせて使い分け、お茶の野菜、ハーブ、調味料としての可能性を追求しています」と話す。
「地元・金谷産のお茶を使った料理を」と思い立ち、試行錯誤しながら料理を考案。2004年に「茶香蒸し」を店のメニューに加え、08年からコース仕立てで出すようになったという。
ひとこと…緑茶の街の絶景

島田駅を降りると、「地球上でもっとも緑茶を愛する街」という緑色の看板が目に入る。そもそも蓬莱橋は牧ノ原台地の開墾者のために作られたもの。橋を渡り、遊歩道を抜けると、丘陵地に広大な茶畑が広がり、その下に蛇行する大井川が悠然と流れる。茶畑と大井川が織りなす、島田を象徴する絶景に思えた。


























