神木に抱かれる父子の墓…羽咋(はくい)市(石川県)
完了しました
たぶの木のふる木の
杜
に 入りかねて、木の間あかるき かそけさを見つ――――
釈 迢 空
(折口信夫)歌集「春のことぶれ」(1930年)


「もつとも苦しき たゝかひに
民俗学の基礎を築いた折口は27年、民俗採訪の旅で初めて能登を訪れ、羽咋出身の教え子、春洋の生家・藤井家に滞在した。この滞在を詠んだ「気多はふりの家」の短歌19首には、海の音の聞こえる気多大社や社家(神主を出す家)の藤井家とともに、タブノキが詠まれる。代表作「古代研究」の口絵には、同社近くの
海の向こうなど異界から来訪し、村人に富や福をもたらす神々を考察した「まれびと論」は折口民俗学の核。「気多大社が出雲(島根県)から来たオオクニヌシを祭るなど、古代から日本海沿岸では人や物の交流があった。タブノキの原生林も日本海岸に点々とある。熊野(和歌山)で着想したまれびと論だが、能登で見たタブノキもその後影響を与えたのでは」。羽咋市歴史民俗資料館の中野

普段は非公開の藤井家を特別に見せてもらった。「門を入ると、露路庭に古いたぶの幹が立つて居て」(50年頃の詩の草稿)と書かれたタブの古木が目に入る。屋根を超すほど高かった木は、今は上部が切られている。「以前は勢いが良かったが、カミキリムシが入って枯れてしまった」と春洋のおい、藤井春幸さん(77)。父子を祭る

最愛の養子とタブノキと日本海の海鳴りは、分かちがたく結びついている。気多大社の一の鳥居跡は、折口がその後廃線となった鉄道の駅に降り立った場所。日本海に臨み、砂浜が続いている。この海の向こうに折口が見たのは、まれびとの幻影か、春洋の魂か。
折口信夫
(おりくち・しのぶ)
1887~1953年。現在の大阪市生まれ。国文学者、民俗学者。国学院大、慶応大で教授を務めた。柳田国男の知遇を得て、国文学や民俗学を超え、日本人の基層文化を解き明かそうとした。釈迢空の筆名で歌人としても知られ、歌集に「海やまのあひだ」など、小説に「死者の書」がある。春洋は内弟子として折口と同居し、研究を支えた後で召集され、1944年7月に硫黄島に着任。同年、折口の養子になった。戦後、折口らによって春洋の歌集「
文・佐藤憲一
写真・中村光一
UFOの街 砂浜で疾走

レンタサイクルで浜を走ってみた。砂浜は舗装したように固く、スムーズにスピードに乗れる。潮騒を聞きながらあびる浜風が心地いい。波打ち際で自動車や観光バスとすれ違うのは、不思議な体験だ。
夕暮れ時、日本海に沈む夕日をバックに車と記念撮影に励むグループが何組もいる。海岸浸食で年々、砂浜が縮小しているとは聞く。この穏やかでロマンチックな風景がずっと続いてほしいと願った。

円盤形の怪しい火の目撃伝説が伝わる羽咋は、UFOの街でもある。UFO研究の拠点でもある宇宙科学博物館「コスモアイル羽咋」には、アポロ司令船やボイジャー惑星探査機、バイキング火星探査機など20世紀後半の米ソの宇宙開発競争に関わる機材が一堂に並び、見応え十分だ。
海岸沿いを離れ、山あいにある

神子の里から奥へ進む。緩やかに棚田が重なる中に、木造の民家が点在する桃源郷のような風景が広がる。日本の古代を追った折口信夫を巡る旅に出て、もう一つの、日本の懐かしい風景に出合った。
●ルート 東京駅から北陸新幹線で金沢駅まで2時間25分、同駅から羽咋駅までJR特急で34分。
●問い合わせ はくい市観光協会=(電)0767・22・5333。なぎさドライブウェイは、天候などにより通行止めの場合も。
[味]焼いたカキに山と海の滋味

能登千里浜レストハウス((電)0767・22・2141)では、10月から3月頃まで能登の七尾湾で養殖された能登かきが食べられる。今の時期は塩味が強めで、春先にかけクリーミーな味に。山のミネラルが海水に溶け込む七尾湾では、カキの育ちがいいという。
運営会社は七尾市内にあり、昨年の能登半島地震で七尾湾の養殖場も被災したが、カキの養殖は続けてきた。「広島ほど有名じゃないけれど、多くの人に能登のカキを食べて知ってほしい」と同店の井筒道代部長(48)。殻付きのまま出てきたカキをガスコンロに載せると、熱せられるにつれて汁がしたたり、殻がはぜてスリル満点だ=写真=。焼き上がったカキをいただくとふっくらとして、能登の山と海の滋味を感じた。5個で1200円など。
ひとこと…12回以上も来訪
折口信夫は12回以上、羽咋を訪れた。戦後だけでも4度来訪、地元の人に短歌を指導するなど、交流を持ったという。毎年9月3日の命日には、藤井家や父子墓で追悼のための年祭が営まれている。「気多の村 若葉くろずむ時に来て、 遠海原の 音を 聴きをり」(「気多はふりの家」)から始まった絆は今も深い。


























