憩いの流れに炭鉱の記憶…直方(のおがた)市(福岡県)
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直方の町は明けても暮れても、どす黒い空であった。――――林芙美子「九州炭坑街放浪記」(1929年「改造」10月号)

眠たくなるほど、穏やかな風景だ。
大正の初め、作家の林芙美子が少女時代を過ごした川辺の景色は、違ったはずだ。流域に炭鉱が集まり、船だけではなく、機関車が運搬の主役となった。はき出す黒い煙が空を染め、石炭を洗う水で川は濁り、ぜんざい川とも呼ばれた。

「遊びに来たいとこが、直方のすずめは
貧しくても、自由を求めて戦前を生きた芙美子の自叙伝「放浪記」は、直方を舞台に始まる。当初は「九州炭坑街放浪記」と題する小文として雑誌に発表され、長編の序章となった。
母親と義父とともに各地を転々とした少女時代の彼女は、直方の街に流れつく。炭鉱の男や家族らに、扇子や化粧品などを売って回る。小さなころに暮らした下関でも、多感な時代を過ごした尾道でもなく、作家は直方の話を冒頭に置いた。

筑豊では明治の文明開化とともに、石炭の採掘が一気に拡大した。鉄を作るのに必要な大量の石炭が確保できることを見越し、下流側の北九州に八幡製鉄所が誘致された。地元の実業家だけではなく、三井や三菱などの大財閥も進出した。

落盤や爆発事故などの危険と隣り合わせでも、全国から炭鉱の仕事を求める人や、彼らを相手に金を稼ごうとする人が集まった。時の波に任せて生きる人々の側に身を置き、文章を書く定めを意識してこの街から書き出したのか。
川は答えない。戦争や経済成長の時代を経て、1970年代に筑豊から炭鉱は消えた。憩いの場となった遠賀川は、ただ流れている。
子どものころの芙美子の理想は、女成金になることだった。町には、成金
「先代は隣が閉めんと、絶対に店を開けてました。お客さんによく言われます。まだ、おるとって」
渡された饅頭は、白あんがたっぷり詰まっていた。
林芙美子
(はやし・ふみこ)
1903~51年。幼少期は長崎、佐世保、下関、鹿児島など各地を渡り歩いた。18年に尾道市立高等女学校に入学。卒業後に恋人を追って上京し、カフェ勤めをはじめ様々な仕事を経験する。それらの苦しい経験を書き留めた日記風の雑記帳をもとにした「放浪記」が30年に出版され、ベストセラーとなった。
市井の暮らしの寄る辺なさを知る一方で、人気作家となった後、日中戦争の従軍記を書いた過去も持つ。ほかの作品に「浮雲」や「風琴と魚の町」などがある。
文・待田晋哉
写真・三輪洋子
黒ダイヤのにぎわい 伝える

筑豊から炭鉱がなくなって半世紀が過ぎた。
黒光りする車体。重厚な鉄の存在感。蒸気機関車はなぜ、人の心を熱くするのか。かつて直方は、掘り出された石炭を運ぶ機関車が縦横無尽に走った。NPO法人汽車倶楽部理事長の江口一紀さん(64)は車両を保管し、小学校の社会科見学などに役立てる。
江口さんは父親が国鉄の機関士だった。蒸気機関車を運転する職場の結束力の強さが胸に刻みつけられている。
「夜の暗いとき、どのように機関車を運転するのか
国鉄マンの魂を受け継ぎ、仲間たちと後世に伝えたいと活動を始めた。石炭輸送の拠点で、広大だった昭和の直方駅をジオラマで再現した。
市内にある石炭記念館は、炭鉱の歴史を伝える。事故が起きた際の救護隊員を養成するための模擬坑道をはじめ、貴重な史跡が残されている。
炭田で栄えた直方は、飯塚や田川と合わせ、筑豊三都と呼ばれる。その中で直方は、江戸時代に福岡藩の支藩が置かれ、おおらかな気風なのだという。市の中心部には殿町という地名が残り、近代に入って建てられた直方谷尾美術館や向野堅一記念館など洋風建築が点在する。同館館長の向野正弘さん(67)は、「様々な歴史を伝える建物。大切にしたい」と語る。
駅前の商店街のアーケードは合計1キロ・メートルに及ぶという。約5万4000人の市の人口規模に比べて異様に長い。炭鉱で栄えた当時を想像しながら一人で散策したい。
石炭景気で豊かになった炭鉱関係者や家族連れも、この場所を歩いていた。西日本一とも称されたアーケードのもと、厳しい労働の合間の小さな幸せを確かに感じた。
●ルート 博多駅からJR福北ゆたか線で直方駅まで約1時間。小倉駅からはJRで約45分。
●問い合わせ 直方市観光物産振興協会=(電)0949・28・8135、直方市石炭記念館=(電)0949・25・2243(月曜休館、祝日は開館)
[味]「放浪記」ゆかりの店のあんパン

直方時代を振り返った「放浪記」の文章で、林芙美子は炭鉱の鉱員たちに扇子を売り、それが売れなくなると「一つ一銭のアンパンを売り歩くようになった」と振り返っている。このアンパンを仕入れたという店が、市中心部の老舗パン店「田代パン」((電)0949・22・1227)だ。明治41年(1908年)創業で、現在は5代目も店で働いている。
あんパンは「芙美子パン」=写真=の名で売られている。口の中に入れると、黒いこしあんがみっちりと詰まり、心が幸せになる味だ。店の4代目の妻の田代裕子さん(70)は、「小麦もあんこの原材料の値段も上がって『苦しきことのみ多かりき』ですよ。でも、地元の人が買っていってくれるのがうれしい」と明るく笑った。
ひとこと…価値増す作家の足跡
林芙美子の記憶は今後、直方にとってより大切なものになりそうだ。西徳寺には林芙美子の滞在地記念の碑が立つほか、有志らが集まって2024年、直方林芙美子顕彰会が作られた。講演会や文学散歩などを催していくという。主宰の池田暁美さん(76)は「運命に負けず、人生を切り開く姿がたくましい」と語る。




























