島の宝 守った館長…淡路市(兵庫県)

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展示室にイイダコやマダコ取りの蛸壺がぎっしり並んでいる。――――森浩一「交錯の日本史」(1990年刊)

神戸市垂水区から望む夕焼けの明石海峡と淡路島。周辺は古くから豊かな漁場だった。明石海峡大橋は阪神・淡路大震災の3年後、1998年に開通
神戸市垂水区から望む夕焼けの明石海峡と淡路島。周辺は古くから豊かな漁場だった。明石海峡大橋は阪神・淡路大震災の3年後、1998年に開通

 明石海峡大橋を高速バスで渡る途中、海面に無数の白波が立つのが見えた。北淡ICのバス停で降りる時には、「風が強いので気をつけて。ここはもう西浦ですから」と運転席から声をかけられた。西浦とは淡路島の西岸のことで、冬には強い季節風が吹きつける。

 1987年2月、考古学者の森浩一は遺跡調査で島を訪れた。北淡町(現・淡路市)の歴史民俗資料館で出合ったのが大量の古代のタコつぼ。「毎日のように漁船の網にかかる」と富永孝館長から聞き、「おそらく日本一の 蛸壺たこつぼ コレクションである」と驚いた。夏に学生たちを伴って調査を行ったと記している。

北淡歴史民俗資料館に並ぶ古代のタコつぼ。奥は「布団だんじり」の豪華な水引幕
北淡歴史民俗資料館に並ぶ古代のタコつぼ。奥は「布団だんじり」の豪華な水引幕

 海を背に坂道を上り、資料館へ。「こちらがイイダコ用のタコつぼ。弥生時代はコップ形、古墳時代は釣り鐘形と、時代とともに進化しています」。文化財案内員の中山有規子さん(56)に説明してもらった。タコつぼの他にも古代の製塩土器、祭りの「布団だんじり」を飾った水引幕、船乗りや漁師が着た刺し子の「どんざ」など、多彩な展示に島の歴史と文化を感じる。

 淡路市教育委員会で文化財を担当する高田大地さん(35)は「旧北淡町は農業も漁業も盛んで、産業関係や祭りの資料などもよく残されています」と話す。富永館長の存在も大きかった。元は八百屋を営み、町の教育委員長も務めたが、「根っからの収集家。食事で行く店の箸袋一つも資料だとおっしゃっていました」。施設管理員の柏木はるみさん(66)は言う。

 1995年1月に阪神・淡路大震災が発生すると、富永さんはがれきの中から古文書や民具を救い出して館に運び続けた。6月に記者が取材で訪れた時は「貴重な資料が失われる、と使命感を覚えました」と語り、地震で妹を亡くしたと教えられた。

 富永さんはその20年後、95歳で亡くなったことを近くで活魚料理とすしの店を営む長男の章弘さん(74)から聞いた。家族に対しても穏やかな人だったという。

 地震当時のことを聞くと「家も店も被害を受け、すし屋をやめて大衆食堂にしようかと迷ったが、最初に働いた店の親方から続けなさいと励まされました」。

 並にぎりにお吸い物を注文した。「今日のお吸い物は天然ダイ。おいしいですよ」。寒い一日だったが、体も心も温まった。

  森浩一 (もり・こういち)
 1928~2013年。天皇陵古墳などの研究で知られ、著作や講演を通じ古代史ブームの先導役も担った。大阪湾に面した堺市で育ち、古代のタコつぼの形の変遷や生産・流通も研究。地域や海から歴史を見る視点を提示し、「関東学」「東海学」を唱えた。著書に「海から知る考古学入門」、「森浩一著作集」全5巻(新泉社)など。同志社大名誉教授。
 北淡歴史民俗資料館は月曜休館(祝日の時は翌日休館)。江戸時代中期の民家である原健三郎・元衆院議長の生家も移築復元している。

 文・高野清見
 写真・安川 純

断層140メートル 地表の爪痕

北淡震災記念公園の野島断層保存館に保存されている野島断層
北淡震災記念公園の野島断層保存館に保存されている野島断層

 阪神・淡路大震災を引き起こし、地上に現れた野島断層は、約140メートルにわたり保存公開されている。「一度来てみたかった」。訪れた人から出る言葉だそうだ。

 保存館でその生々しさに圧倒された。「道路が破壊され、断層が二つに分かれ、生け垣がずれて中ほどから地割れが起き、再び断層がまっすぐ延びる。断層が地表に現れる時の様々な形状が一度に見られます」と北淡震災記念公園営業部の池本啓二部長(53)。来館者は今月で1000万人に達する見込みだ。隣では激震にも潰れなかった民家を公開。塀や花壇がずれ、部屋は傾いていた。

 旧北淡町では39人が亡くなったが、日頃の近所付き合いで家のどこに人が寝ているかまで分かり、消防団を中心に生き埋めの約300人を救出した。「人口が減って住民の結びつきも薄くなったが、消防団員は今も他の地域に比べて多い」と消防団でも活動する池本さんは話す。震災の語りべボランティア事務局長も務め、「地震は必ず起きるが、備えれば被害を減らすことができる」と話しているという。教訓を胸に刻んだ。

淡路島北端の松帆の浦は万葉集の時代から歌に詠まれた。小さな社が立つ
淡路島北端の松帆の浦は万葉集の時代から歌に詠まれた。小さな社が立つ

 万葉集にも詠まれた松帆の浦で明石海峡を眺め、 江埼えさき 灯台まで歩いた。高台に上る石段は地震でねじれたまま保存されている。英国人技師の指導で明治4年(1871年)に建てられた灯台は激震に耐え、2022年には国重文に指定。白亜の建物が夕日にうっすらと染まっていた。

 西海岸を走る県道は夕日が人気を集め、「淡路サンセットライン」と呼ばれている。総合人材サービスのパソナグループが地方創生として次々に開設した観光施設もあり、北淡エリアに活気があった。

 バスで島の北東岸に回り、岩屋港へ。明石港行きの高速船が出る岩屋ポートターミナル前にある絵島は、波に浸食され、地層が模様を描く。国生み神話の「おのころ島」伝承地の一つにふさわしい、神さびた景観をしばし眺めた。

岩屋ポートターミナルの目の前に浮かぶ絵島
岩屋ポートターミナルの目の前に浮かぶ絵島

 ●ルート 大阪駅からJR神戸線で舞子駅まで快速で約50分など。高速バスで高速舞子から北淡ICのバス停まで20分。大阪発、三宮発もある。島内は市の生活観光バスが便利。

 ●問い合わせ 淡路市北淡歴史民俗資料館=(電)0799・70・4135、北淡震災記念公園=(電)0799・82・3020

[味]名産シラスとタコの競演

 明石港(兵庫県明石市)と淡路島を結ぶ高速船が行き来する岩屋ポートターミナルの2階にある「お食事 どころ  浜ちどり」((電)0799・72・2556)は、地元で親しまれる家族経営の店。「たこしらすご飯」(1200円)=写真=は地元名産のシラスの炊き込みご飯に、衣を付けて揚げた明石のタコをのせた一品。サクサクとした食感に続き、柔らかいタコのうまみが口の中にあふれて幸せな気分になる。 出汁だし が添えられ、「お好みでお茶漬けにしてもらっても」と東根一真さん(44)。

 4月末頃~11月末に提供する「島の生しらす丼」も人気。営業は午前11時~午後3時と午後5~8時(いずれも注文は15分前まで)。火曜休み(祝日は営業)。1階の店では「しらすごはんの素」や島特産のタマネギ商品なども買える。

ひとこと…豊かな海 激変

 旅に出る前、鷲尾圭司著「明石海峡魚景色」(1989年刊)を再読した。元水産大学校理事長の著者が漁協職員だった時代、豊かな海の幸を紹介した本。しかし2年前に「あれから三十五年」の副題で出た続編では、近年の不漁や魚食文化の後退が語られる。淡路島の人たちから魚屋が激減したと聞いて寂しかった。

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