谷崎の滞在 旅館の誇り…有馬温泉(神戸市)
完了しました
夏より今の方がええで。紅葉見て、温泉に
這 入
って、ゆっくり晩の
御 飯
食べて、――――――谷崎潤一郎「猫と庄造と二人のおんな」(「改造」1936年1月号、7月号)

荒物屋の主人・庄造と妻の福子、前妻の品子の微妙な関係が、庄造が溺愛する飼い猫によって
谷崎は無類の猫好きで、庄造が口移しで猫にえさをやる本作での描写は、実際に谷崎がやっていたといわれる。また本作発表の2年前に離婚し、前年に再婚。谷崎の状況は、物語の設定とよく似ていた。私小説的な作品なのだろうか?
谷崎を研究する千葉俊二・早稲田大名誉教授は「離婚・再婚の経験が執筆動機の一つではあろうが、庄造は谷崎とかけ離れた人物像であるなど、現実とは異なるストーリーが展開されている。むしろ、3人の心の動きや揺れが濃密に絡み合う展開は、当時谷崎が影響を受けたラディゲの『ドルジェル伯の舞踏会』に通じる心理小説の傑作と言えるでしょう」と話す。


物語の後半、庄造と福子は有馬温泉への小旅行を企画する。冒頭の引用は、今も残る御所坊という旅館での過ごし方を計画する庄造の言葉だ。別の二つの温泉地が候補地として挙がるが気乗りせず、有馬の名を挙げたところで両者が一気に盛り上がる。谷崎文学に造詣の深い明里千章・千里金蘭大名誉教授は、この会話の流れに着目する。
「有馬が格の高い温泉地であることが手に取るようにわかる。『卍』では不自然と批判のあった関西弁もこの作品では完璧。関西ならではの言葉、土地鑑、風物が巧みに織り込まれ、代表作『細雪』につながる重要な作品と考えています」
登録有形文化財認定の木造3階建ての威容を誇る御所坊は、12世紀末の創業と伝わる。「関係者の証言などから谷崎が滞在したのは確かだが、戦時中の火災で宿帳が焼失し、いつどのように来訪したのかはわかりません」と語るのは15代目主人の金井啓修さん。

約40年前に館内を改装した時には谷崎の「
日帰り温泉の営業もあるというので、谷崎も楽しんだであろう湯に
谷崎潤一郎
(たにざき・じゅんいちろう)
1886~1965年。東京生まれ。東京帝国大中退。和辻哲郎らと第2次「新思潮」を発刊し、「刺青」などを発表して文壇に認められた。やがて「痴人の愛」など悪魔主義と呼ばれる独自の作風を切り開いた。関東大震災を機に関西に移住してから日本の伝統美に傾斜し、「卍」「春琴抄」「細雪」など傑作を生んだ。大胆な性描写が論議を呼んだ「鍵」など、晩年まで意欲的に執筆を続けた。49年に文化勲章。国際的な評価も高くノーベル文学賞の候補にも挙がっていた。
文・西田 浩
写真・鷹見安浩
秀吉 知名度で別格の貢献

バスターミナル近くの有馬川には太閤橋、やや上流には妻の名を冠したねね橋。両橋の近くにはそれぞれの像も立つ。ほかにもねねの別邸跡と言われる念仏寺、秀吉が愛した石の碁盤が残る瑞宝寺公園など、秀吉ゆかりの史跡が点在する。

「秀吉は大火や戦乱で荒れていた有馬温泉を復興した恩人。有馬に貢献した偉人は他にもいるが、抜群の知名度ゆえ、今も『太閤が愛した湯』など有馬の広告塔的な役割を担っていると言えそうです」
神戸市の学芸員、須藤宏さんは解説する。
秀吉がいかに有馬を愛したかを伝えるのが湯山御殿跡。須藤さんも携わった1990年代の発掘調査で、岩風呂や蒸し風呂、庭園跡など大規模な施設の様子が解明された。今は遺構や出土品が展示される「太閤の湯殿館」として公開されている。「発掘された御殿が完成したのは1598年ですが、病に倒れ同年没した秀吉はここを訪れることはありませんでした」と須藤さん。

六甲の山を望み、川のせせらぎが耳をくすぐる。木造の建物が軒を連ねる温泉街は、昔ながらの日本情緒をたたえる。秀吉絡み以外にも、行基が8世紀に開いた温泉禅寺をはじめとする史跡に恵まれ、白い蒸気を噴き上げる数々の泉源が目を楽しませてくれる。地元産の牛乳や栗を使ったスイーツ、明石焼きやコロッケなどの店も並び、散策していて飽きることがない。
温泉街をはずれ、木々に覆われ昼も薄暗い細い山道を20分ほど登ると、愛宕山公園の展望台に至る。眼下には有馬温泉のパノラマが広がる。大都市の市街地からほど近い場所に、豊かな自然に囲まれた名湯を擁する。神戸市民がうらやましくなった。
●ルート 東京駅から新幹線で新神戸駅まで約2時間35~45分。同駅から高速バスで約25~45分。
●問い合わせ 有馬温泉観光総合案内所=(電)078・904・0708。
[味]元勲も楽しんだ神戸牛すき鍋

国際貿易港の神戸は、明治期から肉食文化が発展した。神戸牛は、兵庫県産の但馬牛のうち特に厳しい基準を満たした高級ブランド牛として、国際的にも有名だ。明治の元勲・伊藤博文は兵庫県知事だった時代に、有馬温泉ですき焼きを楽しんだという逸話が残る。
和食レストラン「猪名野」((電)078・904・0785)は手頃な価格で神戸牛すき鍋が味わえる。割り下を入れた1人分の鍋で肉や野菜類を煮込む。ピンク色がほのかに残るあたりが食べ頃で、柔らかな肉から肉汁が口中に広がる。「甘からず辛からずの
ひとこと…名湯の実力 実感
御所坊の温泉に入った後、15代目主人の金井啓修さんが、「ここの温泉は湯冷めしませんよ」と送り出してくれた。それから2時間以上1月の小雪ちらつく温泉街を散策した。耳や指の先が冷たくなっても、体の芯からホカホカする感覚はずっと続いた。古くから多くの偉人が愛し守った名湯の実力の一端を実感した。


























