織物の街 絵と文で残す…桐生(群馬県)
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いとものしづかなる中に水車と機声とうちまじり、わがこゝろ
甚
たのしむ――――渡辺崋山「
毛 武 游 記
」(1831年)



南が開ける以外は山に囲まれ、渡良瀬川と桐生川が左右に流れる。町中から響くのは水車と織機の音――田原藩(愛知県)の藩士、渡辺崋山は天保2年(1831年)、藩の公務で江戸屋敷から上州(群馬県)桐生へ旅をした。到着3日後に近くの雷電山(水道山)へ登り、桐生の町を一望した情景を旅行記「毛武游記」に記している。
「『水車と機声とうちまじり』という文章に当時の桐生が全て凝縮されている」と地元の文筆家、岡田幸夫さん(78)。水道山公園の展望台に立ってその時、崋山が描いたスケッチと目前の風景を見比べてみる。人家は変わっても、山河が織物の町を包む「しづかなる」趣はそのままだ。
1300年の歴史を誇る桐生の絹織物は江戸時代、幕府の保護を受けて栄え、町を流れる水路の水車を利用した
桐生で崋山が滞在したのは、妹の嫁ぎ先である織物の
崋山は糸繰りの水車や
崋山は旅の翌年、家老職に就き、貧しい藩の改革に苦心した。
渡辺崋山
(わたなべ・かざん)
1793~1841年。画家、蘭学者。田原藩の江戸藩邸生まれ。家計を助けるため絵を学び、後に西洋画の写実的な画法を取り入れ、独自の肖像画を確立。国宝の「鷹見泉石像」や国重要文化財の「千山万水図」などを描く。蘭学者の小関三英や高野長英とも親交を持った。「毛武游記」によると崋山は10月12日から11月初めまで桐生に滞在。途中、下野(栃木県)足利などにも足を延ばした。桐生の後、三ヶ尻(埼玉県熊谷市)に向かったらしい。
文・佐藤憲一
写真・安川 純
古風な洋風建築「機声」も
長く養蚕や織物業が営まれてきた桐生の地に町が作られたのは、徳川家康が江戸入りし関東を領地としたのがきっかけ。1591年に町づくりが始まり、1600年の関ヶ原の戦いでは家康に大量の旗絹を献上。絹織物の生産が盛んな直轄領として発展した「桐生新町」は、「西の西陣、東の桐生」と並び称されたという。「幕府は織物産業を栄えさせ、税収を増やそうとした。風水を考えた2社2寺を配置した町づくりも、江戸にならった」と、郷土史に詳しい古書店主の奈良彰一さん(79)に聞いた。


桐生の織物は、明治以降も西洋の技術を取り入れ絶頂期を迎えた。町中には桐生織物記念館、
織物メーカー、森秀織物の「織物参考館“
町を流れていた水路の水車で動かした
見学の最後は現役の工場。お守りの生地などを織る織機がシャカシャカと小気味良く織都の「機声」を刻んでいる。
●ルート 東京・浅草駅から東武特急「りょうもう」で新桐生駅まで約1時間45分。同駅から桐生駅までバスで約20分。東京駅から新幹線の小山駅か高崎駅でJR両毛線に乗り換え桐生駅へ向かうルートも。
●問い合わせ 桐生市観光物産協会=(電)0277・32・4555
[味]ひもかわうどん 延ばすひと手間

桐生の名物、ひもかわうどんは、元々冬場に食べられていた幅広のうどん。群馬県には同じく幅広の麺、おっきりこみもあるが、「小麦粉と水だけで麺を作るおっきりこみと、塩を使い、うどんの麺を平たくしたひもかわは、材料から違う」と明治20年(1887年)創業の老舗うどん店「藤屋本店」((電)0277・44・3791)の藤掛将之さん(43)。
同店でつけめんの
ひとこと…峻烈な自然も堪能
崋山は、二つの橋の間の峡谷に、岩と急流の見事な景観が見られる高津戸峡(群馬県みどり市)にも出向いている。「渡良瀬川の水上に左右より




























