採掘400年 坑道四方に穴…石見(いわみ)銀山(島根県大田市)

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当時の日本はイエズス会の神父たちから「銀の島」と呼ばれていた。――――猪木武徳「地霊を訪ねる」(2023年)

赤瓦が美しい大森の町並みの遠く向こう、朝もやにかすむ仙ノ山(せんのやま)。銀鉱石で山腹が光って見えた、との言い伝えがある
赤瓦が美しい大森の町並みの遠く向こう、朝もやにかすむ仙ノ山(せんのやま)。銀鉱石で山腹が光って見えた、との言い伝えがある

 レアアースを巡る争奪戦 しか り、鉱物資源の重要性を痛感する昨今である。

 経済学者の猪木武徳さんは、時に世界経済の 趨勢すうせい に多大な影響を与えた鉱山の跡をあちこち歩き、「土地に み込んだ」記憶の 堆積たいせき から思索を深めた。

 16~17世紀、地球規模での交易で広く流通したのが日本産の銀で、「世界経済史上の意義を無視することはできない」と評した石見銀山では坑道跡や鉱山町、積み出し港などを巡った。

 鉱山運営の全体像を今に伝えるスケールの大きな遺跡である。著作では米国の経済史家デニス・フリンの「グローバル化と銀」を引きながら「歴史の奥深さを味わうことができた」と、旅の所感をつづっている。

 大正末期の休山まで、採掘は約400年続き、 間歩まぶ と呼ばれた坑道跡が1000か所近く残る。総延長は推定100キロ超、世界遺産登録に先立ち、1996年に始まった総合調査が現在も続く。最初期から担当する大田市教育委員会の中田健一さん(61)の案内で内部を歩いてみた。

 「ほら、あそこに」。懐中電灯が照らす岩肌、幅数ミリほどの黒い筋こそが銀の鉱脈なのだという。その細さに驚き、漆黒の闇の中、わずかな光に目を凝らし、 たがね をふるい続けた先人たちの技術、辛苦を思う。

 懸命に探し求めた証左だろう。主坑道の上下左右、あらゆる方向に深く長く穴が延びている。火薬の使用は明治期以降という事実が信じがたい規模の迷宮だ。

 「掘った跡の形状が一つひとつ違う。まさに人間が見えてくる遺跡です」

最大級の坑道跡「大久保間歩」では11月末まで内部を歩く限定ツアーが実施されている
最大級の坑道跡「大久保間歩」では11月末まで内部を歩く限定ツアーが実施されている

 江戸期は幕府が直轄地として支配し、管理・監督する銀山方 御役所おやくしょ御白洲おしらす (法廷)等で構成される大森陣屋を核にして、町は発展を遂げた。

 当時の役人宅や商家が数々残る町並みに、地元の人たちの景観維持への熱意が透けて見える。代官所の跡には石見銀山資料館が立つ。明治期の 邇摩にま 郡役所を地域一体で再生したのだそうだ。

 坑道図や台帳、鉱石、採掘道具といった貴重な史料に交じり、鉱山の模型や復元した福面( 防塵ぼうじん マスク)など手作りした品が展示してある。

 「歴史や経済、地学など、海外の研究者の来館も少なくありません」

 館長の仲野義文さん(60)の言葉に、この地は今もって世界とつながっているのだと確信する。

  猪木武徳 (いのき・たけのり)
 1945年、滋賀県生まれ。労働経済学、経済思想が専門で、大阪大教授、国際日本文化研究センター教授、所長などを歴任。2019年に文化功労者。本書では、活字での知識獲得も重要だが、「旅という体験を通して『足から』しか学べないことは少なくない」として、北海道から鹿児島まで、旧知の研究者らと訪ねた40の鉱山を紹介する。歴史や経済への深い洞察と、楽しい紀行とが入り交じった内容で「どの棚に置けばよいのか、書店が困るような分類の難しい本になった」と記している。

 文・西井 淳
 写真・田中秀敏

人との絆 銀山引き継ぐ

銀山の外港、鞆ヶ浦(ともがうら)の近く、仁摩サンドミュージアムの巨大砂時計。1トンの砂が1年かけて落下する
銀山の外港、鞆ヶ浦(ともがうら)の近く、仁摩サンドミュージアムの巨大砂時計。1トンの砂が1年かけて落下する

 大航海時代、世界が日本の銀を広く認めていた例として猪木武徳さんは「ティセラ日本図」を紹介する。ベルギーで1595年に作成された地図には石見の地名と銀鉱山の文字が確認できる。地域の誇りなのだろう。銀山一帯の諸処で複製した説明画像を見かけた。

 銀山川の両岸、約1キロ続く陣屋町・大森地区は街道筋の宿場町でもあり、江戸末期には38軒の宿が軒を連ねた。

 商工業も活発で、最も有力だった商家、 熊谷くまがい 家の住宅は中が見学できる。国重要文化財で主屋の部屋数は30以上、食器から季節の調度品、婚礼道具など、近世・近代の暮らしを伝える膨大な品々の展示に圧倒される。

 町屋や社寺、武家屋敷が至極自然に混在する町並み保存の根幹を、ボランティアガイド歴20年の安立聖さん(79)が教えてくれた。

 全住民が自治会と1957年に結成された大森町文化財保存会に参加して、主体的に役割を果たしているそうだ。

 小学生は校外学習で遺跡を歩き、座学では先人の事績を細かに学ぶ。「人との絆と石見銀山を未来に引き継ぐ」とうたう住民憲章を皆が大切に力を合わせて守っている。

泉薬湯温泉津温泉元湯は地元の憩いの場でもある。朝晩入浴する人もいるという
泉薬湯温泉津温泉元湯は地元の憩いの場でもある。朝晩入浴する人もいるという

 銀山の外港としてにぎわった 温泉津ゆのつ は、元々は湯治場として全国にその名を知られていた。中世から 温泉屋ゆや を名乗り、継承してきたのが伊藤家で、今は20代目の伊藤磨美子さん(59)が「元湯」を守る。

 約50度の源泉から湯船までは数メートル、湯温で分けた三つの浴槽を複雑な色合いの湯が満たしている。「ここは傷や病を癒やすための温泉です」と入浴前に聞いた説明に従い、ゆっくりと湯につかる。体のこわばりがほどけて、浄化という言葉が自然に浮かぶ。

 貴重な湯を扱う使命感からか、代々の湯主は日々の出来事や見聞、効能や由来の考察を記した文書を残してきた。

 時代を伝える膨大な史料は本格的な研究が始まり、成果の一部が公開されている。

羅漢寺の反り橋。石窟に500体の羅漢坐像(ざぞう)を安置する
羅漢寺の反り橋。石窟に500体の羅漢坐像(ざぞう)を安置する

 ●ルート 羽田空港から出雲空港まで約1時間30分。連絡バスでJR出雲市駅まで約30分。JRの特急列車で大田市駅まで約30分。路線バスで大森代官所跡まで約25分。

 ●問い合わせ 石見銀山世界遺産センター=(電)0854・89・0183、石見銀山資料館=(電)0854・89・0846、泉薬湯温泉津温泉元湯=(電)0855・65・2052

[味]ブレッツェル 異なる食感

 大森銀山地区の一角、古民家を改装した店舗が趣深い「ベッカライ コンディトライ ヒダカ」((電)0854・89・0500)では本格的なドイツパンを提供する。店主の日高晃作さん(44)はドイツの有名店で修業し、マイスターの資格を取得。東京のベーカリーで働いた後、縁あって2015年に移住した。名物の「ブレッツェル」(238円)=写真=はドイツの日常食で、細い部分はパリパリ、太い部分はもっちりと異なる食感が楽しめる。修業時代、独特の形にひかれ、成形の練習を繰り返したといい、「現地では1万個作って一人前だと言われています」と笑う。表面の塩はドイツから取り寄せた品で、粒が口中ですっと溶けて、小麦の本来の味を引き立てる。チーズをたっぷり使った「チーズブレッツェル」(324円)も試してみたい。

ひとこと…景観保全を徹底

 電線は地下に、テレビはアンテナを立てずケーブルで視聴、空き地が出来ても有料の駐車場にはしない。大森地区の景観保全対策は徹底している。中心部は車の通行が規制され、楽しげにそぞろ歩きするグループをしばしば見かけた。来年で世界遺産登録から20年、観光と日々の暮らしとの無理のない共存に脱帽した。

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