ご当地民謡 後世にも…川越市(埼玉県)

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春はうらうら 多賀町あたり 鐘も霞かすみのヤンレヤレコノ なかで鳴る――――西条八十「川越小唄」(1930年)

川越のシンボル「時の鐘」。現在は自動打鳴機によって1日4回(午前6時、正午、午後3時、同6時)、鐘が鳴らされる
川越のシンボル「時の鐘」。現在は自動打鳴機によって1日4回(午前6時、正午、午後3時、同6時)、鐘が鳴らされる

 明治期の風情を残す蔵造りの町並みに、時を告げる「ゴーン」という重厚な鐘の音が響く。川越のシンボル「時の鐘」は、高さ約16メートルの やぐら の上に設けられた鐘楼の中で鳴る。その様子は、昭和初期に当地を訪れた西条八十が作詞した「川越小唄」にも書かれている。

 「小江戸」と称される川越で観光の中心となっている時の鐘と蔵造りの町並みは、街の玄関口となる川越駅から直線距離で約2キロ北にある。徒歩だと25分ほどかかるが、飽きることはない。駅東口を出ると、人気チェーンの飲食店やドラッグストアなどが軒を連ねる繁華街「クレアモール」、それを抜けると昭和の趣が感じられる商店街「中央通り」が続き、蔵造りの町並みに至る。街歩きをしているだけで、時間旅行をしている気分が味わえるのだ。

 西条と川越の関わりを今に伝える「川越小唄の碑」が、時の鐘のほぼ真下にある。大きさは縦約50センチ、横約90センチ。昭和の人気作詞家が作った“ご当地ソング”の碑は驚くほど小さい。

 「川越の芸者たちが、お座敷でのみ披露していた。花街で継承された“門外不出”の小唄だったので、一般には広がらなかった」。川越の郷土歌謡の保存などに取り組んできた元川越料理店組合長の市野川昌弘さん(87)は、この小唄が地元で忘れられた存在となった背景を語る。

 川越小唄は1930年(昭和5年)に作られた。当時は、全国的にご当地民謡がブームとなっており、川越商工会議所が、すでに各地で地方の新民謡を手がけていた西条に作詞を依頼した。作曲は、西条と「甲州小唄」などで組んだことのある町田嘉章が担当した。大物作家2人による川越小唄は完成当時、NHKラジオで放送され、31年にはレコード化された。

 当初は話題を集めたであろう小唄も、川越の花街が衰退するとともに、知っている人はほとんどいなくなった。川越市内の三味線大師範、藤本秀ゆりさん(59)は、川越小唄のレコードを独自に入手し、楽譜を聞き起こした。「本来は芸者さんから手ほどきを受けるべきですが、もう教わることができる人はいない。川越の魅力が詰まった親しみやすい小唄なので、何とか後世に伝えていきたい」と話していた。

  西条八十 (さいじょう・やそ)
 1892~1970年。東京生まれ。詩人、作詞家。早稲田大在学中から詩誌に参加し、1915年に同大を卒業。18年に雑誌「赤い鳥」に発表した童謡「かなりあ」が大ヒットし、19年に第1詩集「砂金」を出版する。24年から約2年間、仏ソルボンヌ大に留学し、31年には早大教授に就任した。純粋詩を手がける一方、27年から流行歌の作詞に本格的に携わる。代表作に「東京音頭」「青い山脈」「蘇州夜曲」「王将」などがあり、全国各地の“ご当地民謡”も多く作った。

 文・笹島拓哉
 写真・三輪洋子

全12番 城下町のゆかり堪能

 「川越小唄」は12番あることが分かっている。「時の鐘」を取り上げているのは7番とされ、1番は「むさし川越 御城下町よ」と始まる。

蔵造りの町並みには、明治の川越大火後に建てられた商家のほか、江戸時代の店蔵や大正期の近代洋風建築など、各時代の特色を反映した建物が残っている
蔵造りの町並みには、明治の川越大火後に建てられた商家のほか、江戸時代の店蔵や大正期の近代洋風建築など、各時代の特色を反映した建物が残っている

 観光客でにぎわう蔵造りの町並みは、1893年(明治26年)の大火を契機に生まれ変わった。現在の時の鐘も翌94年に再建された。この一帯は1638年にも大火で焼失した。江戸幕府の老中だった松平信綱が翌39年に川越城主となり、城下町を整備。以来、町人地の中核として栄えた。

わらべ歌「通りゃんせ」発祥の地とされる三芳野神社。かつて「初雁城」と呼ばれた川越城内に鎮座していた
わらべ歌「通りゃんせ」発祥の地とされる三芳野神社。かつて「初雁城」と呼ばれた川越城内に鎮座していた

 2番の「春の喜多院 お手植さくら」は、江戸幕府ゆかりの寺院について歌っている。時の鐘から南東に約1キロ、閑静な住宅街の先に、830年創建の さつ はある。

喜多院に江戸城から移築された客殿などは、建物内の見学ができる(大人400円)
喜多院に江戸城から移築された客殿などは、建物内の見学ができる(大人400円)

 喜多院では1599年、徳川家康、秀忠、家光の顧問的役割を果たした僧侶、天海が第27世住職となった。1638年の大火でほとんどの建物が焼失したが、3代将軍・家光が復興を命じた。現存する客殿、書院、庫裏は国重要文化財で、江戸城から当時、移築されたものだ。

 第59世住職の塩入秀知さん(68)は「喜多院には開幕した頃の江戸城の一部が残っています。貴重な遺産を今後も守っていきたい」と話していた。「家光公誕生の間」と呼ばれる客殿から見る庭園には、家光自身が桜の木を植えたとされる。そこに「お手植桜」と称するしだれ桜が立つ。

「川越唐桟」は綿織物でありながら、絹のようなつやが特徴だ
「川越唐桟」は綿織物でありながら、絹のようなつやが特徴だ

 11番の「千々の織物  その も広く」は、幕末以降、人気となった綿織物「川越 とうざん 」のことを指すとみられる。輸入した英国製の綿糸を使って、川越周辺で手織りした たてじま 柄の織物で、蔵造りの町並みの近くの「呉服 笠間」は数少なくなった販売店の一つだ。

 4代目の笠間 よしひろ さん(51)は「名前だけでも覚えてもらおうと、小学校に教えに行くこともしている。残したい文化です」と語る。

 12番すべてのゆかりの場所を巡ることはできなかったが、西条が歌詞に残した川越の多様な文化を堪能できた。

 ●ルート 池袋駅から東武東上線(急行)で川越駅まで約30分。西武新宿線の西武新宿―本川越駅は特急小江戸号で約45分。JR川越線は大宮駅から川越駅まで約20分。

 ●問い合わせ 川越駅観光案内所=(電)049・222・5556

[味]甘みの後に広がるイモの風味

 川越小唄の12番には「たれもおみやに おいものお菓子」と、特産品のサツマイモについて歌われている。川越小唄の制作費を寄付した人の中に「山崎嘉七」の名前があった。「これはうちの6代目で、この頃からあった芋菓子は、5代目が考案した『 はつかり 焼』です」。1783年創業の老舗菓子店「 かめ 」((電)049・222・2051)の9代目、山崎淳紀さん(39)が教えてくれた。

 ひと目でイモとわかる初雁焼(702円)=写真左=は、サツマイモをかんなでスライスし、鉄板に挟んで焼き、表面に糖蜜が塗られている。カリカリした食感で、甘みの後に、徐々にイモの風味が広がる。12番は「さすが本場の 色と味」と締めくくられており、西条八十もきっと食べたのだろう。

取材機に対面

 ともに川越小唄を残したいと努めてきた藤本さんと市野川さんは3月、今回の取材がきっかけとなり初めて対面した。藤本さんの三味線教室から市野川さんの自宅まで100メートルほどのご近所だったのに……。これを機に藤本さんが市内の鑑賞会で、川越芸者から受け継いだ楽譜による川越小唄を披露することになった。

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