[未来へ]<1>「生まれた時からそこにあったもの」…島の痛み ラップで伝承、基地と歴史 若者のリアル
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沖縄は今年5月に本土復帰50年を迎え、新たな時代への一歩を踏み出した。それぞれの道で、沖縄の未来を切りひらこうとする人々を追った。

熱気に満ちた会場が静まると、思いを吐き出すようにステージから語りかけた。「沖縄の太陽や海、人の優しさ。その裏にある痛みや歴史。全てを次の世代に手渡したい」
今月3日、沖縄県沖縄市の音楽イベント会場。ノリのいい曲を続けた後に地元出身のラッパー・
広大な米軍嘉手納基地を抱える同市に生まれた。基地前の「ゲート通り」には軍人相手の店やクラブが並び、聞こえてくるヒップホップやラテン音楽に触れて育った。基地で働く父親はピザをよく持ち帰った。「何も拒まず、外国のカルチャーが自然と入り込んでいる場所だった」
ラップは高校2年の時に始めた。地元で有名なラッパーに促されてやってみると、「才能がある」と誘われた。翌年の全国高校生ラップ選手権で準優勝して東京の音楽事務所から声がかかり、2016年に上京。19年のメジャーデビュー後はアニメやドラマなどに曲が採用され、アーティストとしてキャリアを重ねた。
おばぁの涙 歌詞にのせ
しかし、コロナ禍で雲行きが変わった。ライブができなくなり、対人関係に悩むようになった。精神的に追い詰められた昨年7月、沖縄に戻った。先輩と海辺で語らい、先輩の弾くギターに即興で言葉を乗せた。
島の空を飛び交う戦闘機
口をついたのは、沖縄戦や本土復帰から時を経ても変わらぬ島の日常だった。はじかれたように幼い頃からの記憶をたどり、1日で残りの歌詞を書き上げた。
6月23日の「慰霊の日」は毎年、家族で沖縄県糸満市の「平和の
祖母の父は伊江島で戦死したとされるが、遺骨も見つかっていない。沖縄戦のさなかに生まれた祖母が、顔も知らない父親を思って流した涙だと気づいたのは、小学校で戦争体験者の講話を聞くようになってからだ。気丈な祖母が塞ぎ込む姿に接し、戦が残した痛みの大きさに触れた気がした。
音楽でメッセージを届ける人間として、いつかは沖縄戦や基地問題をテーマに発信したい――。温めた思いを曲に注ぎ込んだ。
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