雪国の農村の未来を考えた「雪調」の歩み伝える情報館…旧庁舎は今和次郎デザイン、シャルロット・ぺリアンも来訪
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今冬、山形県北東部の最上地域は大雪に見舞われ、中心都市の新庄市では2月2日に178センチの積雪を記録した。その新庄市にかつて、「雪害救済運動」によって設置され、雪国に暮らす人々の生活向上を目指した「農林省積雪地方農村経済調査所」(雪調)があった。その跡地に立つ「雪の里情報館」を訪ねた。

桜の名所、新庄城跡近くに
雪の里情報館は、桜の名所として知られる新庄城跡近くの新庄市石川町にある。山形新幹線の終点・JR新庄駅からは直線で北西に1・2キロ・メートルほどだ。1997年11月に開館し、鉄筋コンクリート造りの資料館と、木造の記念館(旧庁舎)の2棟からなる。
開館に合わせて建設された資料館には、市民向けのギャラリーやホール、会議室がある。雪調から引き継いだ資料の書庫や閲覧室のほか、かつての冷房設備の見本として雪室も備えられている。
屋根の傾斜が急な理由
旧庁舎は37年の完成で、2014年に国の登録有形文化財になった。傾斜が急で大きな屋根と、三角形の「ドーマー窓」が印象的だ。デザインを手がけたのは考現学の祖・今和次郎。今は翌年に完成した積雪研究室と実験農家も設計した。

1階は常設展示室で、雪調が設置された経緯や研究成果、功績などを解説している。2階に上がるとドーマー窓を間近に見ることができる。天井板がないため、屋根の高さや傾斜もよく分かる。
屋根の傾斜がきついのは、降雪時に雪が自然に落ちるようにするためだ。同様に屋根を急勾配にした実験農家では、実際に農家が暮らし、雪下ろしにかかる労力を副業に充てることで収入増につながるかどうかを検証し、実証されたという。
雪調は農家の副業となる生活用具や民芸品作りの指導も行っていた。1940年には、日本に招かれたフランスの建築家でデザイナーのシャルロット・ペリアンが雪調を訪問。ペリアンの助言を得て机台や折りたたみ式寝台などが製作された。旧庁舎1階の奥にはペリアンにまつわる展示室があり、他の展示室と少し違った雰囲気になっている。
取り壊しの危機、住民らの思いで回避

そのペリアンに会ったことがあるという雪の里情報館雪調特別研究員の水越啓二さん(77)によると、「かつて旧庁舎を取り壊す話があった」という。86年に周辺の区画を整理する事業が計画され、旧庁舎を横切る形で道路が作られることになった。87年に市が旧庁舎の解体を決めたものの、地元住民を中心に存続を求める声があがり、現在の場所に「
地元の人たちの熱い思いで建物が残された雪調とは、どんな機関だったのだろうか。「雪害救済運動」によって設置が決まったことは先に触れたが、救済を訴えたのは山形県村山市出身の衆院議員・松岡
34年に最初の庁舎が完成。積雪研究室や実験農家に加え、農民らに工業技術を伝える場として、缶詰工場や醸造場などが次々と建てられていった。昭和30年代に撮影された航空写真を見ると、多くの建物があったことがよく分かる。

次世代に伝える
今年1月、雪調にまつわる書籍「『雪調』の群像―昭和史の一底流―」(東北大学出版会)が出版された。著者は東北工業大学名誉教授の沼野

雪の里情報館で3月8日、沼野さんによる本の解説と、市民団体「雪調の会」の会員らによるパネルディスカッションが行われた。会場の2階ホールには定員を上回る聴衆が集まった。
本をさらに深く理解するための計4回の「連続講座」も3月にスタートし、6月まで開催される。「雪調を次世代に伝えていきたい」と沼野さん。講座を通じ、古い写真が提供されることなども期待している。

新庄の人たちの熱意で誘致された雪調。旧庁舎はいったん解体が決まったが、存続への思いが実って残された。松岡俊三が議会で雪害の救済を訴えてから、今年12月で100年を迎える。救済運動のシンボルとして、これからも長く残っていってほしいと思う。





























