被災地・釜石で人に学び、人をつなぐ「めざすは街の人事部」…パソナ東北創生
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都市と地方を結び、地方での豊かな生き方や働き方を作ることを使命に掲げ、2015年4月、東日本大震災の被災地・岩手県釜石市で誕生したパソナ東北創生。当時、人材派遣大手パソナで入社7年目だった戸塚絵梨子社長が、社内ベンチャー制度を活用して起業した会社だ。釜石に根付いて11年を迎えた戸塚社長に、これまでの歩みと今後の展望を聞いた。

無力感が原動力に
なぜ若い女性が、しかも出身地(東京)を離れ、被災地の釜石で起業したのだろうか。きっかけは「震災」だったと戸塚社長は話す。当時、東京で法人営業を担当していた大卒入社3年目の戸塚社長は、休日などを利用して頻繁に被災3県を訪れ、がれきの撤去などのボランティア活動に従事していたが、その都度、「自分は何もできなかった」という無力感に襲われていたという。
一度、被災地ときちんと向き合いたいと、戸塚社長は2012年に会社のボランティア休暇制度を利用して9か月間、釜石で一般社団法人の設立に参加した。そこで心を揺さぶられる出会いがあったそうだ。
「自分より少し上の世代の地元の人たちが、『釜石の復興のために何ができるか』『こんなイベントはどうか』などと熱く語り合っていた。素直にカッコイイと思った。自分は今まで、街づくりやイベントなどは全て受け取る立場で、考えもしなかった。その時、私は何かを起こす側の一員になりたいと思った」と打ち明ける。
学びを深める研修ツアー

起業後、戸塚社長はパソナでの経験をいかし、企業などを対象にした研修ツアーを始めた。震災前に約4万人だった釜石市の人口は今、2万8000人に減っている。人口減は全国共通の問題だが、被災地では震災の影響も受けており、厳しい現実が立ちはだかっている。こうした現場で、参加者たちは地域活性化に取り組んでいるリーダーたちから問題解決の糸口を学び、防災の必要性を理解するのだ。
企業側は、「次世代のリーダーを養成したい」「困難に打ち勝つ人材に育てたい」「当事者にキャリア観の醸成をしてもらいたい」という狙いで利用しているという。ツアーは非常に好評で、今でも「ラーニングワーケーション」という形で継続している。
「街が生きている」

戸塚社長は仕事を通じ、地域のリーダーや行政の人たちとともに街おこしにも関わってきた。忘れられない思い出があるという。震災で中断されていた釜石の夏祭り「釜石よいさ」を13年に復活させたことだ。その後、運営体制や人員の問題で開催場所を変えるなど様々な工夫を重ねてきたが、25年で幕を閉じた。
「よいさの復活を見て街づくりに関心を持ち、最近では実行委員として携わっていたので、寂しくなるなと思っていた。そうしたら、イルミネーション(かまいし
そう話す戸塚社長は心底、うれしそうだった。
人をつないで活性化に貢献
同社は研修ツアーだけでなく、地元企業の人材育成や地元企業が求める人材の橋渡しにも取り組んでいる。戸塚社長は「私たちが目指すのは、街の人事部だ」と言う。
釜石市の老舗和菓子会社の社長から、「自分の長男のような偏食気味の子供が、足りない栄養素を補えるクッキーを作りたい。ノウハウを持つ人を紹介してほしい」と相談を受けたことがあり、戸塚社長はブランディングを担う外部の人材を紹介した。野菜のパウダーを練り込んだ菓子が完成し、話題になった。

人口減少は今後も歯止めがかからない。戸塚社長は、釜石の地方創生には移住者を呼び込むだけでなく、関係人口を増やすことが大事だと説く。「人口の流動性を促すことが必要だ。いつまでも首都圏のみで暮らす生き方は果たして正解なのか」。東京出身で、かつては首都圏で暮らし、仕事をしてきた戸塚さんは「多様な場所、多様な生き方、多様な生活スタイルを私たちが提示することで、地方の活性化に寄与したい」と考えている。

今後の展望について、「まずは釜石で地元を愛する若い世代を育てたいと考えている。地元に育ててもらったという記憶は消えないので、たとえその若者が出て行っても外から釜石を応援してくれるし、いずれ戻ってくれるかもしれない。どんな形でもいいので、若い世代が釜石に貢献できる仕組みを作りたい」と語った。
新たな事業として、岩手県平泉町にある宿泊施設「平泉倶楽部」の運営にも乗り出した。築150年の日本家屋をリノベーションした1日1組限定の貸し切り施設で、企業の幹部研修に使ってほしいと売り込みも図っている。


























