カンボジアで父母ら6人失った少女、日本で手に入れた家族「でも幸せと叫べない自分がいる」…1975年4月[あれから]<67>
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「我々は解放軍だ」。無表情で叫ぶその手には機関銃が握られていた。黒い上下の服を着て、黒い帽子をかぶった男たち。車のタイヤを加工して作ったような独特の靴が、妙に記憶に残っている。

1975年4月17日、カンボジアの首都プノンペン。

内戦状態にあったカンボジアでこの日、ポル・ポト派が親米政権を打ち倒し、首都は陥落した。170万人もの国民が集団虐殺や拷問、餓死などの犠牲になったとされる惨劇が始まった。

人生は一変した。両親ときょうだいの計6人を失った少女が向かった先は、日本だった。(社会部 押田健太)
2つの「家族」 弔い慈しみ

父のバイクに乗せられて、メコン川までドライブするのが楽しかった。いつも笑顔の優しい母も大好きだった。3人の兄と3人の姉、そして妹が1人。両親がいて、きょうだいに囲まれ、みんなが笑顔でおいしいご飯を食べる。そんな日常が当たり前すぎて、家族がいる幸せを深くかみしめたことなんて、なかった。





























