カンボジアで父母ら6人失った少女、日本で手に入れた家族「でも幸せと叫べない自分がいる」…1975年4月[あれから]<67>

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 「我々は解放軍だ」。無表情で叫ぶその手には機関銃が握られていた。黒い上下の服を着て、黒い帽子をかぶった男たち。車のタイヤを加工して作ったような独特の靴が、妙に記憶に残っている。

久郷ポンナレットさん(左から2人目)の家族写真。プノンペン陥落の数日前に撮影された=久郷さん提供
久郷ポンナレットさん(左から2人目)の家族写真。プノンペン陥落の数日前に撮影された=久郷さん提供

 1975年4月17日、カンボジアの首都プノンペン。 久郷くごう (旧姓ペン)ポンナレットさん(61)=当時10歳=が目にしたのは、ポル・ポト派の兵士だった。「何が起きたんだろう」。事態の深刻さを理解するには、幼すぎた。

プノンペン陥落を報じる紙面
プノンペン陥落を報じる紙面

 内戦状態にあったカンボジアでこの日、ポル・ポト派が親米政権を打ち倒し、首都は陥落した。170万人もの国民が集団虐殺や拷問、餓死などの犠牲になったとされる惨劇が始まった。

 人生は一変した。両親ときょうだいの計6人を失った少女が向かった先は、日本だった。(社会部 押田健太)

2つの「家族」 弔い慈しみ

姉のセタリンさん(左)、娘の真輝さん(右)と家族の思い出を振り返る久郷ポンナレットさん(2月15日、東京都町田市で)=園田寛志郎撮影
姉のセタリンさん(左)、娘の真輝さん(右)と家族の思い出を振り返る久郷ポンナレットさん(2月15日、東京都町田市で)=園田寛志郎撮影

 父のバイクに乗せられて、メコン川までドライブするのが楽しかった。いつも笑顔の優しい母も大好きだった。3人の兄と3人の姉、そして妹が1人。両親がいて、きょうだいに囲まれ、みんなが笑顔でおいしいご飯を食べる。そんな日常が当たり前すぎて、家族がいる幸せを深くかみしめたことなんて、なかった。

父サルンさん=久郷さん提供
父サルンさん=久郷さん提供
母ニァンセットさん=久郷さん提供
母ニァンセットさん=久郷さん提供

  久郷くごう (旧姓ペン)ポンナレットさん(61)は、カンボジアの首都プノンペンにある比較的裕福な家庭に生まれた。父サルンさんは国立図書館長を務める役人、母ニァンセットさんは学校の教師。2階建ての一軒家にはテレビがあり、近所の子どもたちがいつも見に集まった。

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