惣十郎浮世始末 巻之二 第302回 木内昇

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 駒井への聞き取りを志村に伝えたひと月後、お粂は無事、獄から解かれた。惣十郎はしかし、伝馬町にこの結果を伝えに行くことはしなかった。無罪となったところで、牢に入れられていた五年の歳月も、その間に失ったものも取り戻すことは かな わない。自分が顔を出せば、お粂の傷をかえってえぐることになりかねぬと、控えたのだった。

 「ああ、よかった。これで、この件についちゃお役御免だ」

 ろくに働かなかったのに崎岡は清々と伸びをしたが、

 「しかし、父子で同じ役目をするってのも考えもんだな。駒井みてぇに ひい の引き倒しになっちまうと目も当てられねぇものな」

 自身の病持ちの息子のことを思ったものか、このところ珍しく考え込んでいる。

 彦根の蔵屋敷には佐吉を って、お粂が解かれることを弓浜に伝えた。「お礼に伺いたいってンで、旦那が非番の日をお伝えしときましたよ」と佐吉が報じた通り、冬も近いこの日、彼は籠一杯の柿を携えてやってきたのだ。

 「お粂さんは『 きゅう 』に置いていただけることになりました」

 顔一杯に笑みを満たして、弓浜は報じた。折良く梨春が多津の様子を診にきていたときで、佐吉共々座に加わってもらっている。

 「どんな様子だえ、お粂は」

 惣十郎が問うと、

 「まぁ、あの通りでございます。あの人は、どこに住んでも、どんな目に遭っても、変わらないのかもしれません」

 彼は こう じた様子で びん のあたりを いた。逐一皮肉めいた物言いをするお粂の様子がまざまざと目に浮かんで、惣十郎は苦笑する。

 「『窮理』の店主はもとからお粂さんと懇意でしてね。鍛冶町に住んでいたときに、よく書物を読ませてもらいに通ってたそうなんですよ。 らん しょ の取り締まりが厳しくなってからは、からくりなど店主の趣味の品を主に商うように変わってしまったのですが」

 弓浜が説くと、

 「蘭書が隠れて読まれる時代になってしまったのは、やるせないことにございます」

 梨春がつぶやいた。その横顔を打ち見て、

 ――どうも妙だな。

 惣十郎は顎をさする。このところの梨春は、後ろめたさにも似た かげ をまとっているのである。多くの罪人に触れてきたゆえ、それと察せられるのだが、梨春がなにかしらの罪を犯しているとも思えず、それが惣十郎には不可解だった。

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7884333 0 惣十郎浮世始末 巻之二 2026/05/06 05:20:00 2026/05/06 05:20:00

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