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僕の相棒を紹介します。雑種のメス猫「みたらし」です。推定2019年8月1日生まれ、今年で5歳になります。
庭に遊びにきた猫

誕生日が「推定」なのは、うちの庭によく遊びに来ていた野良猫が、いつの間にか産んだからです。その野良猫はサビ柄で、「サビちゃん」と呼んでいました。
サビちゃんはみたらしを産む前にも子猫2匹を産んでいました。猫は繁殖力が強く、すぐに子猫が生まれます。そこで、「避妊手術をしよう」と捕獲用のおりを購入し、庭に置いていたのですが、警戒心の強いサビちゃんは、なかなか捕まらず……。そうこうするうちに、新たに産んだメスの子猫2匹を連れて、庭に顔を出すようになったのです。そのうちの1匹がみたらしでした。
20年2月頃、ようやくサビちゃんと子猫2匹を捕獲し、避妊手術を受けさせました。去勢や避妊手術は、生後6か月頃、初めて発情期を迎える前が好ましいとされています。手術の傷が落ち着くまで子猫の面倒を見ていたら、かわいくなってしまって。うちで飼うことにしました。
白、黒、茶のきれいな三毛猫で、茶色い部分がみたらし団子みたいだったことから僕が命名。もう1匹は、近くに住む知り合いの夫婦が引き取ってくれました。「あんこ」と名付けられ、元気にしています。
我が家の庭は、サビちゃん以外の野良猫も散歩コースにしていました。僕は、みたらしの父親はそのうちの1匹だと推察しています。ケンカをしたのか顔に傷があって、ちょっとふてぶてしいけど
僕は幼い頃から動物が大好きです。庭に来る野良猫たちも追い払わず、見守っていました。そのため、彼らの間で「あの家は居心地がいい」とのうわさが広まったのでしょうか。代わる代わるやってきておしっこをするせいかミカンの木が枯れてしまったり、家庭菜園の一角から大量のうんちが出てきたり……。でも、猫のかわいい姿を見ると「仕方ない」と許せてしまうんですね。
みたらしが家族の一員になった時、「みかん」という先住のメス猫がいました。僕は2匹がくっついて寝る姿が見たいと期待していたのですが、相性は最悪。寝ているみかんにみたらしが猫パンチをお見舞いするなど、いざこざ続きで、みかんは主に2階、みたらしは1階で生活するようになりました。
みかんは、昨秋に虹の橋を渡りました。
下積みの苦楽 先住猫と

2020年2月頃に「みたらし」(メス、4歳)を飼い始めた時、我が家にはキジトラの先住猫「みかん」がいました。03年11月に生まれた、小柄なメス猫です。
みかんとの出会いは、飼い主募集を呼びかける保護団体のチラシがきっかけです。当時、27歳だった僕は「純烈」の結成前で、俳優として活動していました。家に帰っても誰もいないのが寂しくて「猫を飼いたい」と思ったのです。
東京・北千住に引き取りに行った帰り道、僕にぴったりとくっついてきて、甘える生後3、4か月のみかん。「相性はバッチリだ」と確信しました。
それから僕は07年に純烈の一員になったものの、最初は鳴かず飛ばず。でも「みかんが思いきり走り回れるような広い家に住む」という思いが僕を支えてくれました。その後、18年に念願のNHK紅白歌合戦に初出場。下積み時代を見守り、幸せを運んでくれた愛猫には頭が上がりません。
昨年8月17日の夜のことです。それまで大病とは無縁だったみかんが突然倒れました。「腎臓病で余命は数週間」という診断に頭が真っ白になりました。
そこから自宅で点滴をするなど、治療が始まりました。最初は嫌がっていた点滴も抵抗しなくなり、食が細くなってスポイトで療法食をあげるように。弱っていく愛猫を見るのは、とてもつらかったです。
翌9月上旬から約1か月間、僕は東京都内で座長公演があり、ホテル住まいになりました。「公演終了まで頑張ってくれ」。毎日祈りました。
その願いに応えるよう、みかんは生きてくれました。久々に会った愛猫は痩せ細り、目も見えなくなってしまっていたけれど、最後の親孝行だったのでしょう。そして10月7日、20歳の誕生日の約1か月前に息を引き取りました。
その2日後、火葬や骨上げを行うお別れ会を家族で開きました。僕はコンサートで参列できませんでしたが、祭壇にはみかんのかわいい写真を飾り、みかん宛てに書いた手紙を
その日のコンサートで披露した純烈の曲が「幸せになろうか」です。「おんなじ気持ち分け合いながら いろんな景色見てきたんだ」。そんな歌詞とみかんとの思い出が重なり、泣いて歌えなくなってしまいました。ファンの皆さんが「裕ちゃん、どうしたの?」と困惑したのは言うまでもありません(その後SNSで事情を説明)。苦楽を共にした愛猫の存在の大きさを痛感しました。
最後に、みかんに宛てた手紙の一部を紹介します。
「19歳と11か月。大往生だ。みかん。これから自由に動き回れるし、行きたいところに行けるかな~。寂しいけど長い間ご苦労さま。我が家の子になってくれてありがとう」
20歳の長寿猫 目指して

小さい頃から動物が大好きだった僕。今飼っているメス猫の「みたらし」(4歳)以外にも様々な猫たちが僕の人生を彩り、癒やしをもたらしてくれました。
僕の父は小さな会社を経営し、母は小学校教諭として働いていました。姉は7歳年上で遊び相手にはならず、寂しさを紛らわすためによく野良猫と遊んでいました。
僕が育った横浜市も、30、40年前は野良猫がたくさんいたものです。本当は飼えればよかったのですが、父が猫嫌い。だから、小学校低学年の頃、河川敷で子猫をこっそりかくまったことがあります。学校をサボって家から持参した牛乳をあげたり、一緒に遊んだりしていたらあっという間に父にバレて……。そりゃもう、ひどく怒られました。
父は、僕が小学6年生の時、がんで亡くなりました。母と姉は動物が好きで、それから猫を飼うようになりました。ただ「飼う」といっても室内飼育が推奨されている今と異なり、当時は家の中と外を行ったり来たり。僕に懐いて、うちに出入りするようになった元野良猫ばかりです。
思い出深い一匹が、交通事故で死んでしまった白黒猫の「ヌーボー」。中学3年生の時、学校で同級生が「白ちゃんちの猫に似た猫が、道路に横たわっていた」と教えてくれました。卒業式の予行練習をしている最中でしたが、僕は慌てて学校を飛び出し、雨の中、駆けつけました。悪い予感は的中。ヌーボーは車にひかれ、既に息はしていませんでした。泣きながら家に連れて帰ったことを、今も鮮明に覚えています。
猫は人間と同様、それぞれにとても個性豊かです。今まで関わってきた猫たちを思い返しても、同じ性格の子はいません。これは猫の魅力、面白さの一つでしょう。
今一緒に暮らしているみたらしは、ヘアゴムを投げると、くわえて持ってくるという犬のような特技を持っています。布団から顔を出して寝る姿は、人間のよう。あと少し人見知りで、この連載の写真を撮る時もこたつの中に隠れてしまい、難儀しました(苦笑)。
みたらしにはできるだけ長生きしてほしいと思っています。願うは「目指せ、20歳の長寿猫!」です。というのも、一緒に飼っていた「みかん」が昨秋、19歳11か月で虹の橋を渡ったのですが、「もっと頻繁に健康診断を受けさせていれば苦しまずに済んだかもしれない」との後悔が残っているんです。動物は話せないだけに、日頃のケアが大事と胸に刻んでいます。
出かける時や帰宅した時、出窓から外を眺めているみたらしの姿を見ると、心が温かくなります。そんな何げない日常が一日でも長く続くよう、みかんから学んだことをみたらしとの暮らしに生かしたいと考えています。
(このコラムは、読売新聞で4月に掲載されたものをまとめて再掲載しています。)
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