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「形あるものはいずれ壊れるという思考の人に聞きたいです」 と題する女性からの投稿が、ユーザー投稿サイト「発言小町」に寄せられました。トピ主さんは「自分が大事にしていたグラスを、彼が洗っている最中に割ってしまった」という出来事をきっかけに、「形あるものはいずれ壊れる」という彼の価値観に対して、疑問を抱くようになりました。そのように考える人は、自分のものだろうと他人のものだろうと、「壊れても仕方がない」としか考えられないのでしょうか、と読者に問いかけています。
「責められた」と感じて反応してしまったのかも
投稿によれば、トピ主さんがグラスを割られたことについて、「それ、大事にしてたのに……」と伝えたところ、彼はさらっと「あ、ごめん。割れちゃった」の一言で済ませたため、トピ主さんは「本当に悲しかった」と言います。「『あ、ごめん』は『あ、やべっ』と同じような軽い口調で、とても謝ったとは言えないレベルでした」という記述も見られます。

そして、彼は後日、「しれっと違うグラスを買って置いておいてくれた」そうですが、トピ主さんは「そういうことじゃないんだよな……と思ってしまいました」とのこと。「それならどうしてほしかったのか」という読者からの問いに対しては、「きちんと誠心誠意謝ってほしかった」と記しています。
今回のお悩みで注目したのは、「わざとじゃない」「ものはいつか壊れる」という彼の主張について、トピ主さんが「壊した側が言うことではない」「開き直りとも取れる態度」に違和感を覚えた、とつづっている点です。この“開き直り”という態度にヒントがあるように思いました。
交際している女性の「あなたの言葉や行動によって悲しくなった」という感情表現は、男性にとって「自分が責められている」と感じることの一つです。幸せにしなくてはいけないと思っている相手に「悲しかった」と言われると、無意識に「あなたは恋人として不出来だ」と責められているような感覚になるという男性は一定数います。
今回の件に当てはめるならば、彼は悲しそうなトピ主さんを見た瞬間、自分のふがいなさを責められたような気がして、反射的に「(グラスが割れたことは)大したことではない」という態度を取ってしまったのでは、ということです。
相手から責められていると感じると、反射的に防御姿勢を取ってしまうのが人の常。あくまで可能性の一つですが、彼は「ものはいつか壊れる」という自分の価値観を、トピ主さんに押し付けるつもりはなかったものの、結果的にそうなってしまった、ということではないかと想像しました。
共感はできずとも、理解しあう努力はできる
今回とは逆のパターンで、以前、トピ主さんが彼のものを壊してしまったときには、申し訳なさそうに平謝りするトピ主さんを責めるようなことはなく、「仕方がないよ」「いずれ壊れるものだった」と言ってくれた、とのこと。
「自分のものを壊されたら怒るのに、他人のものを壊しても気にしない」ということならば、彼はとても身勝手な人物ということになりますが、彼の態度は一貫している様子。彼は確かに「ものはいつか壊れる」という価値観の持ち主であり、ものに執着しない性格であるようですね。そのように思っている人には、ものが壊れたときにひどく悲しむ気持ちに共感できないという側面はあるのかもしれません。
形あるものへの思い入れの度合いは、人によってかなり違うものです。本などに置き換えると分かりやすいかもしれませんが、「本の内容が読みたいだけなので、多少汚れていても気にしない、図書館で借りて返すので良い」という人がいれば、「まっさらな本に奇麗なブックカバーをかけて読みたい」「好きな本は手元に置いて眺めていたい」という人もいます。
トピ主さんは、ものに対して「愛着も湧くし、壊したくないし、壊れたらショック」と考えるタイプとのこと。どちらかというと後者のタイプなのかもしれませんね。
ものに執着しない人とものに愛着を抱く人が、パートナーとして一緒に生きていくことは可能だと思いますが、心から共感はできずとも、「相手はそういう人なのだな」と理解し、相手の気持ちを想像する姿勢を双方が心がけることは必要な気がします。そうでなければ、いずれ気持ちが離れる原因にもなりうると思います。
ものに愛着を持つ人の中には、無意識にものに自分を投影し、自分が大事にしているものをおろそかにされると、自分自身が大事に扱われていないような感覚に陥ることがあります。もし、トピ主さんがそのように感じるのであれば、彼にしっかり説明しておきましょう。「私は『ものは壊れるものだから』と淡泊に思えない性格だから、その点は分かってほしい。あなたの考え方が違うのは分かっているし、それゆえに自分も責められることなく過ごせているのでありがたいけれど、私がどう感じるかを知っていてほしい」などと丁寧に伝えれば、今回の件について、心からの謝罪の言葉を聞ける確率は高いと思います。
「違う」からこそ補い合えることも
仏教には「この世の全てのものは常に変化し続ける」といった考え方がありますが、今あるものに過度な執着を持たないことは、軽やかに、心穏やかに生きていくための賢明なすべの一つではないかと個人的には思います。
もしかしたら彼は、過去の経験を通じて「壊れてしまったものに執着したり、壊されたことを恨んだりしても、自分の人生は良くならない」と悟った結果、「ものはいつか壊れるものだから」と考えるようになったのかもしれません。
彼には、形あるものや過去、手に入らないものなどへの執着を手放せるさっぱりしたところがあり、自分と異なる性格だからこそ、心ひかれたのかもしれない。理知的に生きていこうとする、地に足の付いたところがあるからこそ、彼に補ってもらったり、救われたりしているところもあるのかもしれない。そんなふうに、違う角度からも自分たちカップルのバランスを見つめてみると、今とは違った景色が見えてくるのではと思いました。応援しています。(フリーライター 外山ゆひら)
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