[時代の証言者]情念をうたう 岡野弘彦<4>女の子のおでこにキス

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家族と小1の岡野さん(左端、1931年7月撮影)
家族と小1の岡野さん(左端、1931年7月撮影)

 1931年(昭和6年)、川上尋常小学校へ入学しました。1、2年生が同じ教室で授業を受ける複式学級で、僕の学年は男子4人、女子9人。全校生が100人ちょっとの規模です。片道2キロ半、往復歩いて通いました。

 両親は名古屋のデパートからカタログを取り寄せて、都会の子どもみたいなサージの服地の半パンツ、上は紺色の制服のようなものを僕に着せました。村の子はみんな着物。僕は革靴で五つボタン。「少年倶楽部くらぶ」の表紙みたいな格好です。みんな集まってきて、僕の服を触って「こいつ何じゃい」。僕はいっぺんでやんなっちゃった。こんな格好、嫌だって。

 村の子は帯もしないで縄で縛っている子もいる。足半あしなか草履といって、かかとの部分がない、ちょっとひっかけただけの草履で走り回っている。そこへ革靴を履いていったのだから、異様だったでしょうね。

 小学校に入る1年ぐらい前から、菊池寛編集の「小学生全集」を毎月取り寄せて読んでいました。日本建国童話集などがある100冊近い子ども向けの全集です。外国のものがまた楽しい。ギリシャ神話とかドイツのジークフリートの神話とか、胸をときめかせました。アラビアン・ナイトをランプの下で読むとふさわしい感じがしました。

 僕は「赤い鳥」の時代には遅れて生まれてきたんです。それが残念でした。

 《「小学生全集」は27年、興文社と文芸春秋社によって刊行が始まった。児童文芸誌「赤い鳥」は18年に創刊され、一時期休刊した》

 山の中の一軒家で、周りには大人しかいない。空想と本しかない。どうして僕はこんな山の中に生まれたんだろう。どこかから落ちてきたんじゃないか、と思ったものです。

 小学校に入ってすぐのお遊戯の時間に、女の先生のオルガンにあわせて踊って、終わると相手の女の子のおでこにキスしたんです。外国の物語を読んで、そういうものだと思っていたんですよね。それが大騒ぎになってしまった。村中の壁に相合い傘を書かれて弱りました。

 傷つきましたが、母が先生に相談して、先生も随分考えてくれました。学芸会の時に羽衣伝説を演じて、僕が主役の漁師になって、相手の女の子が天女になってお芝居をしました。村では子どもの学芸会も村中のお祭りみたいな感じで大人も楽しんでいました。

 あの頃、子どもたちは「広瀬中佐」とか「橘中佐」とかの軍歌を歌っていました。

 《満州事変が31年に始まった》

 小学校の教室の正面には、爆薬の筒を抱えて中国軍に飛び込んでいく写真が掲げられていました。「爆弾三勇士」の歌は毎朝、歌わせられました。ご真影が納めてある建物が校舎とは別にあって、そこに向かって頭を下げてあいさつしなければいかんというふうになっていきました。

 (文化部 佐々木亜子)

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1030313 0 時代の証言者 2020/02/01 05:00:00 2023/04/22 18:13:39 /media/2020/01/20200131-OYT8I50080-T.jpg?type=thumbnail

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