羽生結弦さん「被災したことや金メダリスト、背負って生きる誇り」…読売新聞インタビュー
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復興支援のアイスショー「ずっと続けていく」
東日本大震災から11日で15年となる。故郷の仙台市で被災し、フィギュアスケート男子で五輪を連覇したプロスケーターの羽生結弦さん(31)が読売新聞のインタビューに応じ、これからも被災地に寄り添う決意を語った。(聞き手 永井順子)
あの日、仙台市内のリンクで練習中に、命の危険を感じるほどの揺れに見舞われた。氷が波打ち、ドアがゆがんで壁にひびが入る。四つんばいでスケート靴のまま逃げ出した。16歳だった。
「当時の記憶は鮮明で、一挙手一投足まで思い出せる。においも音も覚えている。あれ以上の経験はないと思う。
「今でも現実とは思えない」ほどの衝撃だった。翌シーズンは「被災者代表」として注目されるなか、世界選手権で3位に入るなど躍進が始まった。
「当時は被災者代表のように見られて世界選手権に出たり、日本代表に選ばれたりするのがすごく嫌だった。重圧を感じて怖かった」と振り返る。それが次第に「結果を取ることで喜んでくれる方々がたくさんいた。『勇気をもらえた』と言ってくれる。そういうことに携われて本当に良かった」と思えるようになった。
ソチ五輪の金メダリスト記者会見では「メダルを取っても復興に直接できることはない。無力感を抱いている」と発言した。しかし、毎年のように被災地を訪問するうちに、心境は変化していった。
「金メダルを手に被災地を訪れると、皆さん本当に喜んでくれる。被災地出身で被災して、五輪金メダリストである自分にしかできないことがきっとあると思う。仙台出身であること、3・11で被災したこと、金メダリストであること。すべて背負って生きることに誇りを持っている。金メダルを背負って、これからも責任感をもって使っていきたい」
15年がたち、もう一つのある変化があった。自身の被災体験にようやく向き合えるようになった。
「被災地を訪問していると、津波に見舞われた沿岸部では、大切な方を亡くすなどつらい思いをされた方々がたくさんいた。内陸部の仙台にいた僕は、身近で亡くなった方はいないし、スケートを失ってもいない。自分が被災者だと言えなくなってしまった。だけどようやく、『被災したよ、傷があるよ』と自分の被災体験と向き合ってもいいのかなと思えるようになった」
復興支援アイスショーにあわせて能登半島地震で被災した石川県の物産展を開催するなど、他の被災地にも支援活動を広げている。
「3・11でも、能登半島地震でも、こうしたら減災できた、命を守れた、と災害から学ぶことは続けてほしい。その大切さを思い出すきっかけに僕がなれればいい。スケーターとして体の動く限り支援は続けていく。その先もずっと担っていく使命感はある。形は変わってもできることをやっていきたい」


























