負けるたびに人気過熱「ハルウララ」に武豊が騎乗した日、悠々自適の余生は「勝ち組」…2004年3月[あれから]<58>
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異例の「ウィニングラン」だった。
2004年3月22日、高知競馬場(高知市)に詰めかけた約1万3000人の視線は、一頭の牝馬に注がれていた。ハルウララ。デビュー以来105連敗を喫しながら、ひたむきに走る姿が人気を集め、この日のレースで、ついにトップジョッキー・武豊騎手(56)=当時35歳=が騎乗した。

結果は11頭中10着。しかし、ハイライトはレース後に待っていた。手綱を取る武騎手に導かれ、ハルウララがスタンド前をゆっくりと走る。通常、勝った馬が行うウィニングランに割れんばかりの拍手が送られた。
「なんか夢みたいだ」。場内実況を担当したアナウンサー・橋口浩二さん(58)=同37歳=は胸が熱くなった。ブームの仕掛け人とはいえ、1年前、ここまでの光景が見られるとは夢にも思わなかった。(北海道支社 野田快)
「連敗を売りに」…実況アナの賭け
全然勝てない馬がいる。そのことにいち早く気付いたのが、高知競馬場(高知市)で場内実況を担当するアナウンサー・橋口浩二さん(58)だった。2003年春。ハルウララというかわいらしい名の付いた

大学時代に地元放送局のDJとして活動していた縁で、1994年、実況の仕事を始めた。競馬の知識は全くなく、だからこそ出走馬についていつも入念な下調べを行った。直近の成績や血統はもちろん、未勝利の馬もチェックした。もし勝ったら、実況で「何戦目で初勝利」と紹介するためだ。

85、86、87……。連敗数が一つ、また一つと積み重なっていく。成績が振るわない馬から
それは、連敗記録を逆手にとった話題づくりだった。当時の高知競馬は、バブル崩壊後の不況のあおりで深刻な経営難に陥り、2002年度末に80億円以上の累積赤字を抱えていた。このまま赤字続きなら廃止となる。「生き残るため、ハルウララを売り出そう」と決意した。
03年5月、高知県内の居酒屋。「いつになったら勝つんだ」。橋口さんは、知り合いの高知新聞記者・石井研さん(58)に思わせぶりにそう切り出した。1998年のデビュー以来、一度も勝てていないのに、「処分」もされない馬がいる。石井さんは「これは記事になる」と直感した。


























